夢路いとしさん死去・78歳

夢路いとし・喜味こいし漫才音源

No 放送日 放送局 番  組 漫才演目
2937 S58.2.25 NHK 夜の指定席 理想的隠居像
2930 S62.8.19 NHK 爆笑三夜@ 花嫁の父・台風の話・もしもし鈴木です
2931 S62.8.20 NHK 爆笑三夜A 交通巡査・お笑い曽我物語・こいしさん
2932 S62.8.21 NHK 爆笑三夜B 親子どんぶり・誤問答・僕は推薦者
2001 H7.6.23 NHK深夜便 懐かしの上方芸能  
4259 H12.12.29 NHK ラジオ深夜便 旅は道ずれ兄弟漫才60年
5599 H13.12.22 NHK ラジオ深夜便 嫁はんの結婚記念日

 NHKTv 追悼番組 15.10.25・DVD収録 

「交通巡査」

H6.3

「花嫁の父」

S56.6.13

「ああ結婚記念日」 H15.8.6最後の収録・ノーカット

 

朝日新聞記事15.9.29

しゃべくり兄弟漫才の夢路いとしさん死去

味わいあるぼけ役で笑いをとった、亡くなった夢路いとしさん(右)=2月23日、大阪・難波千日前のワッハ上方演芸ホールで

 「いとこいさん」の愛称で親しまれ、豊かな大阪弁を生かした、しゃべくり漫才で人気を集めた兄弟コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の兄、夢路いとし(ゆめじ・いとし、本名・篠原博信=しのはら・ひろのぶ)さんが、25日午前0時35分、自然気胸に肺炎を併発し死去した。78歳だった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男和彦(かずひこ)さん。日時は未定だが、お別れの会を開く予定。自宅は兵庫県宝塚市中野町7の6。

 横浜市生まれ。芝居の子役から、37年に12歳で上方漫才の荒川芳丸に入門した。2歳下の勲(喜味こいし)さんとコンビを組み、芳博・芳坊として漫才を始めた。

 戦後の48年、現在のいとし・こいしに改名。名前は、当時の流行歌「昔恋しい銀座の柳…」から「こいし」をとり、その対句で「いとし」が浮かび、どちらにするかはじゃんけんで決めたという。

 ラジオの演芸ブームに乗り脚光を浴び、宝塚新芸座でも活躍。テレビや映画、芝居にも活動の場を広げた。力の抜けたぼけ役のいとしさんは、独特の間合いと柔らかなユーモアで知られ、最後まで第一線の舞台に立った。

 最近では、登場するだけでひときわ大きな拍手がわき、ひょうひょうとしたしゃべりで、幅広い年齢層の観客を笑いの渦に巻き込んでいた。

 代表作は、ちびた鉛筆をなめながらメモを取るお巡りさんが登場する「交通巡査」、ネクタイ、ワイシャツをはさみで切り合う「洋服屋」、料理法を伝授する「ジンギスカン料理」など。身近な家庭の話題をうまくネタに取り入れることに定評があった。

 上方お笑い大賞、上方漫才大賞など、お笑い関係の主要な賞のほか、93年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。99年、大阪市無形文化財に指定された。

 8月初旬まで舞台に立っていたが、同22日に胸の痛みを訴えて神戸市内の病院に入院。今月22日ごろから容体が悪くなった。長年コンビを組んだ喜味こいしさんは、家人を通して「今は残念としか言えません」というコメントを伝えた。 (09/29 00:22)

日刊スポーツ記事

兄弟漫才の夢路いとしさん死去


 

大阪市の無形文化財指定が決まり、喜びの表情を見せる夢路いとしさん(右)と喜味こいしさん=99年10月、大阪市北区の大阪市政記者クラブ

 弟の喜味こいし(75)との「しゃべくり漫才」で人気を集め、上方漫才の第一人者として活躍した夢路いとし(ゆめじ・いとし、本名篠原博信=しのはら・ひろのぶ)さんが25日午前0時35分、肺炎のため神戸市内の病院で死去していたことが28日、分かった。78歳だった。26日に近親者だけで密葬を営んでおり、葬儀・告別式は行わず、10月末にしのぶ会を開く。喪主は長男和彦(かずひこ)氏。こいしは29日、大阪市内で会見する予定。

 いとしさんは先月22日に過労と肺血腫のため入院。今月20日に肺炎を患い、25日未明、親族10人以上が見守る中、病室で静かに息を引き取った。生前「死んだら海にでも放っておいてくれ」と話していたため、翌日に密葬という形をとった。遺族の意向もあり、亡くなったことは親しい関係者以外には一切知らされなかった。23〜26日にいとしさんが出演する予定だった兵庫・加古川市民会館での舞台でも、その死は一切告げられなかった。

 28日に自宅のインターホン越しに報道陣に対応した妻・篠原幸子さん(77)は「うわごとのようにマイクがどうのこうのと話しておりました。もう一度舞台に立ちたかっただろうと思います」と夫の胸のうちを代弁した。

 60年にわたる芸人生活。時事問題を取り入れた新鮮な話題と軽妙なしゃべくりで、舞台、ラジオ、テレビと常に第一線で活躍した。大阪弁を駆使し、庶民の日常生活と哀歓を温かみのある漫才で表現。今春、大阪市内で行われた舞台では、若手芸人を圧倒するパワーを見せつけていた。

 生来病弱で、体をいたわりながらの芸能活動だったが、常に研究を怠らない熱心さは有名。「演じた漫才の本数は2、3万にのぼる」と自ら語るほど、常に新ネタ研究に情熱を燃やした。そんないとしさんを尊敬する後輩芸人も多かったという。

 TBS系の視聴者参加番組「がっちり買いまショウ」(63〜75年)では、その早口で軽妙な司会ぶりが人気を集めた。俳優としても舞台やテレビに数多く出演。ミヤコ蝶々さんの自作芝居では兄弟そろって熱演し、NHK「ふたりっ子」などで味のある演技を見せていた。