柳家 小さん逝去 |
14.5.16
四国遍路の最中「小さん」の逝去を知った。昨年噺を聞くチャンスがあったのに当日会場に行ったら「体調不良」で代演
だった。87歳、もう一度聞きたかった。
![]() 落語界初の人間国宝になった柳小さんさん。「タコの釜入り」など、明るい芸風で親しまれた
森繁久彌も小さんさんと最後のお別れをした |
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小さん師匠 安らかに眠れ16日に心不全のため亡くなった落語家で人間国宝の柳家小さん(本名・小林盛夫=享年87歳)さんの通夜が18日、東京・渋谷区の乗泉寺でしめやかに営まれた。落語協会葬として行われた通夜には、橋本龍太郎元首相(64)、俳優・北大路欣也(59)、落語家・三遊亭円楽(69)ら約1300人が参列しめい福を祈った。葬儀・告別式は19日正午から同寺で営まれる。浴衣姿でほほ笑む遺影 1300人が焼香落語界の大御所の死に、1300人が焼香の列を作った。俳優・森繁久弥、タレント・ビートたけし、歌舞伎俳優・尾上菊五郎をはじめ、個人・団体からの供花は500以上。読経後には弟子の鈴々舎馬風が歌う盆踊り調の「小さんが一番」が繰り返し流れた。笑いに人生をささげた人間国宝を、明るく見送る落語協会葬だ。 棺には帽子、眼鏡、着物や帯などとともに「越中ふんどし」も納められた。晩年までふんどしを愛用していた師匠のために、弟子たちが新調したものだという。右手側には木刀、左手側にはステッキも。愛した落語と、毎日けいこをして7段の腕前を持つ剣道のための愛用品ばかり。天国でいつでも高座にあがり、剣をふるえるようにとの遺族の願いがこめられた。 弔問に訪れた三遊亭円楽は、ある時小さんさんから「今の落語界はつまんないな」と言われたことが忘れられないという。「いつか来るとは思ったが寂しくなるね。芸風と立場は違うが一番のライバルだね。落語界が小さくなってしまったようだ」としんみりした表情。落語芸術協会会長の桂文治(78)は「安らかにお休みください」と涙ながらに言うのが精いっぱい。漫才師の内海桂子(79)は、昭和の演芸界を支えた“同志”の死に「人間国宝にふさわしい、芸に奥行きのある人だった。芸を残していけないのは悲しい」と声を落としていた。 |
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森繁悲痛「順序が逆…」16日に心不全のため亡くなった落語家で人間国宝の柳家小さん(本名・小林盛夫=享年87歳)さんの落語協会葬が19日、東京・渋谷区の乗泉寺でしめやかに営まれた。小さん師匠落語協会葬1983年に小さんさんとたもとを分かち、立川流を創設した立川談志(66)はこの日の告別式も姿を見せなかった。小さんさんは3年前にインタビューをした春風亭小朝(47)に「いつまでたっても弟子は弟子だろ」と言っていたという。小朝は談志に落語協会に戻るように働きかけたこともあり「(談志は)天才・小さんの唯一の遊び相手でおもちゃですよ。寂しいんだろうな、遊びたいんだろうなと思った」と2人が再会できなかったことを悔やんでいた。 告別式の最後には、親族代表で小さんさんの長男・柳家三語楼(54)が「子ども2人で見送れたのは最後の親孝行でした」と涙ながらにあいさつ。多くの人に親しまれた小さんさんは木遣りと参列者の拍手に送られて天国に旅立った。 石原都知事も弔辞 |
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しめやかに営まれた小さんさんの告別式 |