惜別・古今亭 志ん朝さん死去

平成13年10月1日10時50分

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落語ヘ

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 パソコンのキーーボードを打ちながら、落語のテープを聞いていたら志ん朝師死去のニュースでびっくり。当代一の実力落語
家、63歳まだまだ若いし、これからの人が逝ってしまった。10月6日の落語会を楽しみにしていた、体調不調で代演の知らせ
を聞いて心配はしていたが、つい先日久米弘の番組「最後の晩餐」を観たばかり。 やつれた感じでいつもの元気は感じられ
無かったが、そんな重病とは思ってもみなかった。 芸人さんって死の数日前までお客を楽しませる仕事が出来るのだろうか
? 志ん生を父にもつ実力派名人の兄弟が二人とも若くして逝ってしまった。落語会の予定だった10月6日が告別式とは・・・
 つい先日まで元気だった私と同年代、志ん朝師死去のショックは大き過ぎます。

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所沢寄席パンフレット

 

日刊スポーツ・速報記事(ネット)

古今亭志ん朝さんが死去

 古典落語の名手として落語界をリードし、幅広いタレント活動でも知られた古今亭志ん朝(ここんてい・しんちょう、本名美濃部強次=みのべ・きょうじ)さんが1日午前10時50分、肝臓がんのため東京都新宿区の自宅で死去した。63歳。

 志ん朝さんは夏の北海道巡業で体調を崩し、8月下旬から高座を休んで治療に専念していた。葬儀・告別式は6日、東京都文京区大塚5の40の1、護国寺桂昌殿で。喪主は妻聖子(せいこ)さん。

 志ん朝さんは、写実的でち密な人間描写に秀で、独特のスピード感が持ち味だった。古典を従来通り踏襲するのではなく、新しい命を吹き込んだ名手といわれていた。得意演目は「富久」「火焔太鼓」「品川心中」など。

 96年には、落語協会副会長に就任。二つ目勉強会を運営し、後進の育成にも熱心だった。

 ◆古今亭志ん朝 1938年(昭和13年)3月10日生まれ。名人・五代目古今亭志ん生の次男として生まれる。兄は故金原亭馬生。女優の池波志乃は姪にあたる。最初は役者志望だったが、大学受験に失敗し浪人しているときに父の強い勧めで落語家を目指すようになる。1957年、父に入門して古今亭朝太で初高座を踏む。59年に二ツ目、62年に真打ちに昇進し二代目古今亭志ん朝を襲名する。異例といえる入門から5年目での出世だった。古典落語の第一人者として、正月の寄席ではほとんどトリをつとめる実力派である。

 72年芸術選奨文部大臣賞。75年放送演芸大賞。80年ゴールデンアロー芸能賞と受賞多数。元日劇ダンシングチームに在籍していた聖子夫人とは69年に結婚。

(写真=1日午前、肝臓がんのため死去した落語家の古今亭志ん朝さん(共同))