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海老一染太郎さん逝去

14.2.4

 

                 つい先日までTVの中で元気に活躍されていた染太郎さんが亡くなったとのニュース。

                正月には欠かせない芸人だったです。生で見たことは無かったけれど随分楽しませてもらいました。

                忘れてしまわない為に新聞記事をとっておきます。

 

 

海老一染太郎さん(右)。左は弟の染之助さん(国立演芸場提供)

 
朝日新聞記事・ 14.3.4

おめでとーございます」の独特の口調でおなじみの太(だい)神楽(かぐら)曲芸の兄弟コンビ「海老一染之助・染太郎」の兄、海老一染太郎(えびいち・そめたろう、本名・村井正秀=むらい・まさひで)氏が2日、胃がんのため東京都内の病院で死去した。70歳だった。通夜は4日午後6時、葬儀は5日午前11時から新宿区市谷山伏町1の7の常敬寺で。喪主は妻禮子(れいこ)さん。自宅は中野区上高田5の22の9。

 落語家を父に持ち、終戦直後に曲芸師に入門。46年に初舞台を踏み、進駐軍のキャンプでも人気を集めた。大柄な弟が傘の上でまりや土瓶を回すそばで、テンポのよいおしゃべりをして笑いを呼ぶ明るい芸風で広く知られ、テレビにも頻繁に出演していた。85年に第1回浅草芸能大賞奨励賞受賞。

 昨年11月に手術を受けた。退院して正月は活動を続けたが、1月29日の舞台を最後に再入ていた。(19:35)


写真=83年1月、新宿末広亭で曲芸を披露する海老一染太郎氏(左)、染之助氏(共同)

 
日刊スポーツ記事・ 14.3.4
 

傘の上でまりを回す芸で知られる伝統演芸・太神楽(だいかぐら)の曲芸師海老一染太郎(えびいち・そめたろう、本名村井正秀=むらい・まさひで)氏が2日午後9時、胃がんのため東京都中野区の病院で死去した。70歳。東京都出身。葬儀・告別式は5日午前11時から新宿区市谷山伏町1の7、常敬寺で。喪主は妻礼子(れいこ)さん。

 1932(昭和7)年、新宿区に生まれ、2代目海老一海老蔵に入門。以来、弟染之助さん(67)とコンビを組み、新宿の末広亭で寄席のいろものの1つとなっている太神楽の曲芸師として出演するようになった。

 当初は進駐軍を相手にギョロっとした目と出っ歯を武器に、ナイフやたいまつなどを放る「おどかし」を披露していたが、徐々に巧みな弁舌を発揮。

 その後、染之助さんが傘回しを行い、染太郎氏が横で軽妙なしゃべりを展開する芸が十八番となり、正月のテレビ番組では常連だった。客には「弟は肉体労働、兄は頭脳労働、これでギャラは同じ」と言い放ち、受けを取っていた。