平成13年 3月 4日

「黒い花びら」を読む  

 

 

 
 「黒い花びら」 
   水原 弘 ・ 永 六輔作詞 ・ 中村 八大作曲
  昭和34年第1回レコード大賞受賞曲です。この年高校を卒業した私にとってこの歌は、守屋 弘の「僕は泣いちっち」と共に今でも忘れられない。 
 この歌を聴いたり唄ったりしているとその当時のことが昨日の事のように思い出され、18才に戻ったような気持ちになれるからです。
 初めて社会人になり、給料をもらい、酒や煙草も覚え喫茶店やちっちゃな飲み屋に行ってた頃よくこの歌が流れていた、そして会社の旅行や宴会の時
 は必ずと云って良い程この歌を唄う事にしていた。もう40年以上も前のことです。
  この本を当時の自分とオーバーラップさせながら読み進み懐かしかった。「水原・守屋・井上」の三人弘・ロカビリー・日劇ウエスタンカーニバル・平尾
 昌章・ミッキーカーチス・山下敬二郎・小坂一也・パラダイスキング・坂本九等々これらが私の青春だったから。
  水原弘は、この曲の大ヒットの後「黒い落葉」を唄う、私はこの歌も好きだった今でもしっかり覚えてます。しかしその後は大たいしたヒット曲もなく下降
 線をたどり第一線から消えてゆく。この間、兄とも思う勝新太郎の影響を受けた豪快な遊びを続ける。大勢の人を連れて銀座のクラブを飲み歩き昭和34
 年で一晩300万円も使った事もあったと言う。収入が減った後も豪遊を続け莫大な借金を抱えることとなり、賭博で警察の取調べを受けたりする。
  それが昭和41年「君こそわが命」で衝撃的なカムバック。このあたりの経緯が良く書いてあります。しかしその後も酒・豪遊・借金の構図は変わらず
 営業権まで金貸しに売ってしまい、キャバレーまわりの強行軍の中体も壊し、下関のキャバレーで18曲歌ったショーの後ホテルで倒れその12日後
 42歳の若さで死んだのです。
  歌のうまい、当時の芸人魂を持った歌手の壮絶な生き様を読みながら自分の青春を思い出しました。