14.6.4 結願の翌日41km歩き1番・霊山寺へお礼参り |
私の永年の夢だった「四国の歩き遍路」が無事終わった。
4月26日から6月6日まで42日間にわたる長い長い旅だった。「全て歩き通す」事が第一の目標だったのでこれは100%達成する事が出来た。 1番から88番そして1番までの歩行推定距離は1,220km・万歩計の歩数は151万歩になった。 実質歩行日数は39日間・移動に2日間・高野山奥の院で1日合計42日である。
次の目標は「楽しく歩く」事。 50日程度の予定で、高知や道後温泉等では休みをとって観光も楽しもうなんてつもりでいたが実際に歩き始めたらそんなレベルの旅ではなかった。 毎日毎日が歩く事・歩行距離との壮絶な戦いで観光なんてとんでもないと思うようになっていた。あっさりあきらめてひたすら歩き通した。
歩き始めの際、信仰心のほとんど無い私は「金剛杖」「納経帖」「経本」「輪袈裟・数珠」「納札」は買ったものの白装束・菅笠はちょっと恥ずかしく感じてポロシャツにベストでスタートした。それが20目頃から白衣を買おうかと思うようになり、とうとう28日目・道後の「石手寺」に着いた際「白装束・菅笠」を購入。私も誰かが言ったか書いたかした通りになっていたのだ。
42日間も続けて家を空けるのは生涯初めての事だった。当然過去に経験した事の無い数々の貴重な体験をする事が出来た。 厳しい峠や山・美しい海や川・青々とした田や畑・風雨が強く一歩進むのが大変だった足摺岬への海岸線等、四国の大自然に自分の足で直に触れる事ができ多くの感動を得た。
多くの人達とのふれ合いもあった。数々の接待や道案内をしてくれた地元の人達、親切にしていただいた宿の人達、長い長い「遍路道」の草刈等の整備や、数多い「道しるべ」の看板やシールをボランティアで貼ってくださっている皆さん、そして一緒に歩いてくれたり、同宿で一緒の夕食を食べながら苦労話を聞いてくれたり励ましてくれたお遍路の皆さん方。大勢の皆さんとふれあいそして本当にお世話になりました。
数年間、散歩等で訓練していたつもりの私の足だが、6〜7kgの荷物を背負って毎日連続30キロ平均を歩くのはそうたやすい事では無かった。大丈夫のはずの慣れた靴だったが、3日で大きなマメが出来、それが固まりまたマメが出来ると云う状態。15日目くらいからやっと落ち着いてきた。夕方風呂に入った後は、もう歩けそうも無い程のダメージを受けていた足も翌朝はちゃんと又歩けるようになっている。こんな事の連続だった。
おそらく「最後まで歩き通そう」と云う精神力・気力で歩いたのだと思う。 あるいは「お大師さま」のおかげなのか? いずれにしても厳しい40日間を通しで完全に歩けた事は、私にとって体力的にも精神的にも大きな自信となった事だけは事実である。
この「四国歩き遍路」で体験させてもらった貴重な体験を今後の人生の中で生かしていきたいと思ってる。 そしていつまでも感動を忘れないために、42日の記録を少しずつ書いて見ようと思っています。
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4月26日より50日くらいの予定で出掛けます。永年の夢だったから全て歩き通したいと思いますが、
アクシデントがあれば潔く諦めて帰ってきます。
四国遍路ひとり歩き同行二人より |
「四国八十八ヶ所のあるき遍路ができたらいいなあ・・・」と初めて思ったのはもう5〜6年前の事だと思う。
信仰心等とは全く縁の無い罰当たり人間だから、どうしてかと云われても自分でも良く解からない。
以前から気ままな一人旅は好きだった。毎年夏休みには予定も決めずよく旅をした。
北は北海道礼文島から南は沖縄西表島まで。 所沢から稚内まで全て車で走った事もあるし、北陸や
山陰も走った。四国一周も4泊で走った事がある。もう10数年も前だが360ccのスバル(軽四輪)で
5日間北海道を走りまわり皆からあきれられた事もある。そんな事に「ロマン」を感じていたのだと思う。
その延長が「今回は歩いて」になったのかも知れない
「定年になればすぐに行ける」と思っていたので、かなりの人に夢として話しをしてしまっているのだが
未だに実現しない。
八十八ヶ所・1400km全てを歩くのには、50日くらいかかるとの事。退職早々は「職安」があるので1年
間は駄目、1年経過してこの冬にはと内心思っていたら「病院」のことやらで駄目。
春から秋にかけては「ゴルフがあるから」なんて思っていたがそれでは一生行けそうも無い
毎日ウォーキングで体力作りはしています。1日約1万歩6〜7kmは歩き昨年は年間320万歩、約2千数
km・・ 本やビデオやインターネットの情報を見たりして準備は進めています。
妻の了解もなんとかとれそうなのだが、正月妻の母に話したら「長すぎる」と言われる。
14.1.26
早くいけたら良いなあ・・・・・ の願いを込め、新年を契機にホームページを作って見ました。