気まぐれな日記 2004年 

 

16年12月31日 2004年

  あと数時間で2004年も終わる。 今年の漢字に「災」が選ばれたように全く酷い一年だった。

台風、大雨、新潟地震、そして大津波、忘れようにも忘れられない程の災害が襲ってきた。そしてイラク情勢は、ますます泥沼化して自爆テロが後を絶たない。天災、人災でおびただしい数の人名が失われた。

 

 

 国内の景気も好転との実感は無い、来年度は増税や、保険料負担等の増加が待ち受けている。社会情勢もどうなってしまったのだろう。連日のように殺人、放火、虐待、窃盗・詐欺等のニュース、「子供が一人で表を安心して歩けない」社会になってしまった。自殺者も年間3万3千人を超える、驚く人数なのだがだんだん麻痺してしまっている。

 

 

 いつからこんな国になってしまったのだろうか?かっての日本はこんな国ではなかったと思う。小泉さん、改革、財政再建も良いけれどもっと将来に期待が持てるような明るいビジョンがないと日本人の心は全て病人になってしまいます。

 

 

 曽我さん一家の帰国、スポーツでは日本人選手のオリンピックでの活躍、イチローの安打新記録、我が西武ライオンズの優勝等があったけれど余りにも悪いニュースのほうが多過ぎた。伝統のある「近鉄」そして「ダイエー」もなくなってしまった。

 

 

 私の1年間は無事に終わったけれど、大過なく過ごせたというだけで余り特筆するような事は出来なかった。散歩・ゴルフに落語等を聞いていたらもう大晦日。休肝日も余り作らなかったし体重も増やしてしまった、そういえば白髪もしっかり増えている。

 

 

 昼から雪が降り出しあっという間に雪景色となり外の景色は一変した、来年こそ大勢の人が心から喜び合えるような素晴らしい年になってもらいたいものだ。

 

   


16年12月1日 少年の心

  

 何故か最近、自分の心が歳をとるのに反比例するかのように「少年」の頃に戻ってゆくように感じる。

考えることや言動がどう考えても、これでよいのかと思うほど幼稚である。 定年で会社から離れ4年間、子供達もとっくに親離れして夫婦二人だけの生活、取引先や同僚との付き合いもめっきり減った。営業成績や、顧客との取引関係、同僚等との人間関係で悩んだり煩わしい思いをすることも全く無くなった。

 

 今1ヶ月4−5回のゴルフを楽しんでいるが、そのうち半数以上は小学・中学校・高校等で一緒だった故郷の友人達である。この友人達とゴルフ・酒飲み・旅行・研修会等で付き合うことが楽しい。○○ちゃんと呼び○○ちゃんと呼ばれる。あの頃からもう4〜50年経っているのだがお互いの気持ちは当時と変わらず、一緒にいるときはその間の長い互いの人生が一挙に短縮されてしまったように感じられる。こんなことが、私の心が「少年」に戻ってゆく原因だと思っているのだが・・・・

 

 余り「幼稚」になり過ぎて「ボケ」ないようにしなければなんて思っている。

 

   


16年11月19日 Nさんからの手紙

 

  2年ほど前、私が四国八十八ヶ所を歩き遍路した際に始めて知り合って大変お世話になったNさんから分厚い手紙を頂いた。

 

 Nさんには私が四国を歩き始めて3〜4日後に始めて出会い、40日後八十八番大窪寺で結願を迎えた際も一緒だった。その間相談して同一行動をした訳ではないのだが、偶然同じ宿に泊まることもあったし、一緒に歩いた事も多かった。

 

 という事は40数日間だいたい私と同じ距離を(平均一日30Km)同じ速度で歩いたことになる。私より7歳も年上とはとても思えない若さで、その健脚振りには驚かされた。一緒に歩いた道中、色々貴重な体験談や遍路の情報等を教えていただき、私が無事に歩き遍路を達成することが出来た恩人の一人だと思い感謝している。

 

 結願の夜八十八番大窪寺門前の民宿で、ビールで乾杯互いの健闘を称えあった。翌日、1番霊山寺まで一緒に30数キロ歩いてお礼まいり。夕刻Nさんとはここで別れた。私は翌日バス・電車・ケーブルと乗り継ぎ高野山奥の院へ向かったのだが、Nさんは歩いて高野山まで行くとのことで驚かされた。

 

 手紙は、そのNさんが又四国八十八ヶ所の「歩き遍路」を終えたとの事。前回は通し打ちだったが今回は奥様も一緒で3回の区切り打ちで無事結願、2度目なので「別格二十札所も同時に参る」「ルートが二つある場合は遠回りでも前回と違う道を通る」「横峰寺から石鎚山へも登る」「ゆっくり観光もする」と内容も余裕たっぷりでうらやましい限りだ。

 

 50日間の詳細な日程(歩行距離・宿泊先・お参りした寺等)と遍路中の苦心談(膝を痛めたり・熱が出たり・大雨で道が壊れ通行止めで大回りをしたこと等々・・)を読ませてもらった。大変だったことのほうがたくさん書いてあるけれど、充実した旅を無事終えた達成感と喜びが手紙のあちこちから手に取るように読み取れた。

 

 そして手紙の終盤には、4年後には75歳を記念して逆打ちの歩き遍路を計画しているとの事、(逆打ちは道路標識等も少ないので大変なのです)それまで健康に留意してがんばるのだとも書いてある。二重の驚きだった。

 

 この手紙を頂いて私は大変なカルチャーショックを受けた、そしてNさんがうらやましかった。4-50日にわたる「歩き遍路」の苦しさ、大変さは経験した人でなければわからないと思います。でも一度経験した人はその苦しみ以上の喜びがあることを体験して知っているからです。

 

 私も毎日近くの「八国山」を散歩しながら「四国を歩いた日のこと」を思い出さない日はない。でも最近では「もう一度歩くのは無理かな?」と弱気も出てきた。そんな時にこの手紙、もっと勇気を出さなければと反省させられました。

 

 

 Nさんおめでとうございました。有難うございました。

   


16年8月6日 59年前

   59年目の広島原爆の日、いまだに世界各地で戦争は終わらない。人と人、国と国との争いが終わる事はないのか?それぞれの国で思想・宗教・教育等全く違うからね。

 

 終戦の年私は5才、復員した父は翌年正月に病死(47歳だった)。その翌年(S22)が小学1年生だが、それ以前の事を殆ど覚えていない。家が写真屋だったのに写真も殆どなく、母も私が小学3年生の6月に病死してしまったので余り子供の頃の話を聞いた記憶もない。男ばかりの3人兄弟、11歳年上の長男に私は育てられた。                   

 

   


16年8月2日 たんばらラベンダーパーク

                      

 

  一度は行って見たいと思っていた故郷沼田市郊外の「たんばらラベンダーパーク」 私が子供のころには無かった。

友人が入園券とリフト券を送ってくれたので行ってきた。所沢から片道2時間半のドライブ、懐かしい迦葉山の脇を通り、そこから予想していた以上山道を登る、標高1300Mとのことだ。 北海道のラベンダーを2度見ているのでそのスケールには負けるけれど関東近県でこれだけの花は見られない。花より感激したのは高原を吹き抜ける風の涼しさ、晴天なのに日陰に入ると半袖では寒く感じるほどだった。連日の猛暑にうんざりしている体にとってこの自然の風は一服の清涼剤だった。午前中だったので、入園者もまばらだったが帰るころにはバスもやってきて賑わってきた。

 

 白沢村の望郷の湯で昼食、沼田で墓参り、子供のころを思い出しながら懐かしく市内を走り、高崎の妻の実家へも寄って有意義な一日だった。ゴルフ以外で出掛けることは余り無いから・・・ 

 

   


16年4月13日 花粉症??

 4月10日の午後から急に自分の意思に反し右目・右の鼻から涙と鼻水がだらだら出てくる。目は涙目だし、鼻から目の中央にかけて頭も重苦しい。60数年の人生の中でこんなことは始めてだ。花粉症にもまったく縁がなかった。杉が終わり今は檜の花粉らしいが、この年になっても新たに花粉症になるんだろうか? 今までの風邪気味だったときの症状とは明らかに違うし、聞いている花粉症の症状と全く似通っている。花粉症でないことをひたすら願うばかりだ。

 

 4月に入り、3−5日に微熱が出た、6日から3連チャンのゴルフが予定にありだめかと思っていたら、6日の朝はすっかり平熱に戻っていて3日間のゴルフは楽しむことができた。

 

 1日ゆっくり休んだ翌日が今回の症状である。何もする気が起きて来ない。


 

 4月13日高崎の薬局で「プレコール・鼻炎カプセル」と「鼻炎用スプレー」を買った。この薬が効いたのか、天気が悪く花粉が少ないせいか、13日の夜から現在まで(14日PM)鼻水・涙はピタリと治まった。まだちょっと涙目だし頭も重い感じはするけれど何と楽なことか。


 15日・埼玉県の花粉状況は「やや多い」天候の悪かった昨日より頭も重くて涙めだから「花粉症」の可能性大。近所の人にここ数日間の症状を話したら「花粉症」のお墨付きをもらう。でも鼻水と涙の自然流失はなくなったから最悪のころよりはすごしやすい。

 

 でも前向きなことはやりたくないです。 

    


 16日全快宣言とまでは行かないがだいぶ良くなった。鼻炎カプセルは昨夜から呑んでいない。ゴルフの練習場で大きなくしゃみが数回出た程度だった。

   


16年4月6日 TVで野球観戦

 昼はゴルフで夜は野球のTV観戦。2台のTVを使って2試合を同時にみる。西武の試合とジャイアンツ戦、アンチジャイアンツだけれどこういうのも巨人ファンらしい。

 

   


16年4月4日 「米だけの酒」

 どうでも良い事だけれど「純米酒」と「米だけの酒」は違うのだそうだ。今朝ラジオで聞くまで全く知らなかった。日本酒は好きだから製造方法等勉強したつもりだったのだが・・・・

 

使う米の作り方、精米の程度が違うのだそうです。当然「純米酒」の方が上で値段も高い。

 

 最近、居酒屋やゴルフ場等では低アルコール度(13−14度)の酒が出てくる事が多い。やはり日本酒は15度以上のものがうまいです。

   


16年3月28・29日  桜

 デジカメを持って花見に出掛けてみました。

きれいな写真を撮ってみたいけれど難しくて駄目です。

 

 

   

 


16年2月18日  一部屋に26個

 

 8畳の居間にあるコンセントを必要とする電気器具を数えたらなんと26個。クーラーや照明は専用の配線があるがそれ以外は全て部屋の壁にある3ヶ所の」コンセントからとる事になる。

 

 漏電も心配だから全てを外し、アンペアを考慮しながら配線をやり直す。器具を買いに出掛けたりしたら一日がかりになってしまった。パソコン2台とその周辺機器が大半、常時使わないものはコンセントの電源をOFFにする。

   

 


16年2月17日  驚いたこと

 

 ふるさと沼田関係のの情報が解からない。

 

 今日ゴルフの際知らされたこと。

幼馴染K君の奥さんが急死。K君とは10日前一緒にゴルフをして伊香保で一泊、楽しい酒を飲んだ。「円歌」の落語が聞いてみたいとの事で、帰宅後CDを送り電話で話をしたばかり。その数日後にこんなことが起こるとは・・・ 

 

 会社の大先輩○○さんが、入院・手術した、今は退院して元気に回復したとの事。今日知らされびっくりした。 ○○さんの病状も心配。

 

 同級生○○君・○○君、元気だから心配ないよね・・・・。

 

 ・・・・・・・心配なことはあるけれど、みんな大丈夫、がんばろうね。

 

   

 


16年2月11日  ローズ・ド・サハラ TVニュースに

   

 

 沼田高校の同級生「石井君」が新宿で経営するアフリカ料理店「ローズ・ド・サハラ」がTVニュースに取り上げられている。私が見ただけでも今月に入ってすでに3番組。東京辰巳会の例会場として使わせてもらっている店がTVへ登場するのだから嬉しい。

 

 

 「牛肉・鶏肉」の輸入禁止が続き、ワニやダチョウの肉が注目されているとの事で、この料理がメニューにある彼の店に取材が殺到したらしい。この店にはもう以前からワニやダチョウ肉のメニューがあって、懇親会の都度ご馳走になっている。

 

 

 お客の評判もよく、客数・売上高も大幅アップとの事。店の宣伝にもなるし、結構なことです。

 

   

 


16年2月4日  自衛隊「相馬ヶ原駐屯地」

 辰巳会の総会とゴルフで伊香保へ行く。霞山CCは、自衛隊「相馬ヶ原駐屯地」に隣接してあり、駐屯地の正門を右折して入ってゆく。

 

 

 実はもう30年以上前のことだが、この自衛隊に企業研修の一環として2泊3日の体験入隊をしたことがある。30歳くらいの時だったと思う、20名ほどがマイクロバスに乗せられてこの門をくぐった。隊員と同じ服を着せられて、行進の訓練や、マラソン、体力測定、夜中の不寝番等大変な事ばかりだった。鉄棒にぶる下がっても懸垂は全く出来ず、行進もうまく行かない、挫折感をたっぷり味あわせてもらった。楽しかったのは食事の時だけ、3日間がこれほど長く感じたことはなかった、研修が終わり又マイクロバスに乗ってこの門を出た時の「ほっとして嬉しかった」事をまざまざと思い出した。

 

 

 自衛隊の隊員は今イラクへ。

   

 


16年1月27日  ケーブルTVで古い映画を

 1966年の映画「落語野郎 大馬鹿時代」をケーブルTV見る。38年も前の映画を炬燵で見られるのだから有難い。談志・歌奴(円歌)・米丸・小せん・夢楽・円鏡(円蔵)・牧伸・歌丸・米朝etcみんな若い若い・・・今輔・柳朝・馬の助・柳好4・牧野周一・てんぷくトリオ・東京ぼん太・Wケンジとう今は亡き故人やコンビも出演。映画の内容はともかくこれだけの顔ブレを1本の映画で見られたのだから儲けものだった。

 

 

 夜はTV東京で「談志・究極の話芸とは」(極上の休日)天才の落語家、27歳で真打・35歳で参議院選挙で当選・落語協会を脱会・立川流を創設・食道がんを克服・68歳になった今も素晴らしい話芸は衰えない。私の大好きな落語家です。

 

 

 もちろん両方ともDVDに残す。

 

   

 


16年1月24日  新橋「蛇乃目寄席」へ

 最近は生の落語をほとんど聞いていないので、重い腰をあげて新橋まで出掛ける。ネットで知りあった高橋さんから案内をいただいたもの。第7回だが私は3日目、木戸銭は5千円だが終演

後、出演者を囲んでいっぱい飲みながらの懇親会つき。落語が5席と柳家小菊さんの粋曲、すし屋の2階に座布団を敷いて60名ほど、ホール落語や定席とは違った良さがあります。

 

   

 


16年1月23日  歌丸師「落語芸術協会」新会長へ
 

 歌丸さんが会長に就任。「芸術協会」は、新作を演じる人や色物が多い印象をもっていたけれどこれでちょっとイメージが変わってくるかも知れない。 今後ますます期待できそうだ。

 

 

   

 


16年1月15日   継続は力(39年前からの日記帳)
 

 

 

 本棚に昭和41年からの日記帳が並んでいる。子供のころから毎年挑戦していたが、大体3日坊主で終わり、半年続けばよい方だった。今残っている日記帳で最古のものは昭和41年、この年は1年間きちんと書いているけれど翌年前半で挫折。その後紆余曲折があったが、昭和52年からは一日も欠かさず書いている。

 

 

 27年間休んでいないから、この間に何をしたかが調べようと思えばすぐに解る。たいした事はしてきていないけれど自分の過去が残っているからちょっとした安心感のようなものを感じることができる。ここまで続けばもうやめる事はないでしょう。 5年連用日記にして書く量を減らしたのが成功の秘訣だと思う。

 

 

 今年は5年目を書いているから、毎日ページを開けるたびに過去4年間の行動を知る事ができる。これも大きな楽しみの一つです。

 

   

 

 

16年 正月
 

 

 


 定年から3年半、63歳の正月。自分ではまだ若いつもりでいるけれど・・・・     このところ十数年まったく同じ元旦の朝。早起きして風呂に入り、朝から酒を飲む。正月のムードは大好きだけれど、お飾りもしないし、初詣にも出掛けない。文字通りの寝正月。

 

 

 今年の抱負 ・ 「私は健康で一年間過ごせれば、それで十分」「戦争やテロ・極端な貧富の差がなくなり平和な世界になってほしい」 誰もが願っている事だろうけれど、その為に私たちは具体的に何をしたら良いのでしょうかね?