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私の四国遍路

2.28番から39番まで*

11.安田町から野市町まで31km(11日目・5/7

 宿泊先の「浜吉屋」から28番「大日寺」までは、35km約10時間ほどである。十分歩けそうなので寺の近くの宿に電話をしたら満員との事で4km手前の「かとり」に予約。 

 昨夜同宿の歩き遍路さんは5名、うち二人は早朝雨の中を「神峰寺」へ出発、強い雨の中登るのはさぞ大変だったろうと思う。 高知の「中山さん」愛知の「荒川さん」と私は前後して出発。別に打ち合わせて一緒に歩いている訳ではないのだが、今日だけでも数回抜きつ、抜かれつを繰り返し、昼食も偶然一緒のうどん屋で食べることになった。長いサイクリング道路の後半、昔電車の軌道だったトンネルを一緒に歩いた後「夜須町・サイクリングターミナル」へ泊まると言う「中山さん」とは別れる。今日歩いた芸西町,海岸線の砂浜では、以前見た映画「砂の器」のワンシーンを思い出した。

 私の足は念入りにテーピングをしたのが効を奏したのか、殊のほか具合が良くてご機嫌だ。不思議なのは前夜「明日歩くことが出来るのか?」と思うほどダメージを受けていた足が、寝て起きると又歩けるように回復していることだ。私自身もう何回もそう思ったし、他の人も同じような事を云っていた。

 夜須町の郵便局でお金をおろした直後大雨にあう。道路に平行して出来た新らしい電車の高架下が格好の雨宿り場所となった。

 3時半ずぶぬれ状態で旅館に到着。部屋とは別棟の風呂へ行く際、ボツボツのあるサンダルを履いたら右足がひどく痛い。足の裏に大きな新しいなマメが出来ていたのだ。夕食後は濡れた靴をドライヤーで乾かし、足の手入れをして寝る。

          

                                 津久茂町から夜須町まで海沿いの自転車専用道路を歩く

 

推定歩行距離 歩行歩数 宿泊先 出費 うち宿泊費 備考
31.0km 39,081歩 野市町「かとり」 9,400円 7,350円 -
 

12.高知市(はりまや橋)へ着いた(12日目・5/8

     

        田植えの済んだ気持ちの良い遍路道              はりまや橋で

 朝のうちの雨も1時間ほどですっかりあがり、新緑の緑がいちだんと映えて見える。28番〜29番〜30番田植えがすっかり済んだ田のあぜ道等を進んで高知市へ。気持ちの良い道が続く。 28番大日寺から1時間ちょっと「上野田」の踏切を渡った直後に「お遍路さん・無人セルフ休憩所」 遠慮なしに休ませてもらって冷蔵庫でよく冷えた「麦茶」をご馳走になる。  置いてあったノートには「雨で休む所が無かったので本当に助かりました」等のコメントがいっぱい書いてあった。

 私も「冷たい麦茶を有難う。1番を出て12日目・明日は高知で一日休みをもらって観光でもする予定です。楽しい遍路を続けたいと思います」と書いた。 前にもふれたが、出発の時からこの時まで本気でそう思っていた。 「高知市や、道後温泉等では観光を」 と・・・・  それが30番善楽寺から高知市内へ苦労して歩きビジネスホテルへ着く頃から考えが変わっていた。何故かは解からないけれど「観光はいつでも出来る、今は歩くことに集中しょう」と思うようになっていた。それに一日でもバスに乗って市内観光をしたら「挫折してしまうのではないか」と云うような不安もあった。

 3時過ぎにはホテルへ着いたので夕方までと夕食後市内見物には出掛けた。デパートや物産展でお土産等を物色したが気にいったものが見当たらない。大型カメラ店でスマートメディアとミニ三脚を購入。ザックカバーが欲しかったがのだが西武デパートでも売っていなかった。 夜も飲食店へは寄らず、薬局で足の手入れ用に消毒スプレーを買い今夜も念入りに手当てをする。

歩行推定距離 歩行数 宿泊先 出  費 うち宿泊代 備  考
26.8km 38,446歩 高知市「BH・一兆」 21,200円 5,800円 素泊り・写真用品

 

13.高知・桂浜経由で33番「雪蹊寺」・高知屋へ(13日目・5/9

   

                          五台山展望台より高知市内を見る         31番竹林寺五重塔 

 早朝の高知市街、散歩やジョギングの人達と挨拶を交わし「青柳橋」を渡るコースで五台山へ昇る。 わずか139メートルだが決して楽ではない、寺に行く前に山頂付近に五台山公園の展望台が現われる。たった今歩いて来た高知市内が一望できる。「よしよし良く歩いた」なんて思いながらテーブルの上にカメラを置き、リモコンで写真を撮ろうとしたらカメラがセメントの床に落ちてしまう。 電池が飛び出しひどい状態だったが、数ヶ所傷になっただけで性能には異常がなく事無きを得た。 

 竹林寺はまだ8時だというのに、市内に近いせいか団体の遍路さんが大勢来ている。本堂も立派だし山の上の五重塔も美しい。顔見知りの歩き遍路さんが一人。

 32番「禅師峰寺」へは、6kmなのだが竹林寺の五重塔がいつまでも見えるので振り返りながらゆっくり歩いたら2時間かかってしまう。 今日から5本指靴下をやめて靴の紐をゆるめにしたせいか足の状態はかなり良くなった。あるいは昨夜買ったスプレーの消毒薬が効いたのか・・・

 「禅師峰寺」で高知の「中山」さんに会うことが出来る。60歳台後半、国府町の「鱗楼」で初めて会った方だ。

 32番からスタートして、その時が30日目だったから今日が40日目、ここでお礼参りをして終了。 この10日間道中でよく会ったし、同じ宿になったことも何回かある。いろいろ体験談を聞いたり、これから私が歩く先の情報等も教えていただいた。 その「中山」さんに打ち合わせをしていた訳でもないのに最後の寺で会う事が出来て嬉しかった。 記念にツーショットの写真に入ってもらって別れる。

この時から「私も40日」がひとつの目標となった。

 「禅師峰寺」からの県道に出た所でまたまた道を大きく間違えてしまう。間違った先入観から全く逆の方向に歩き始めてしまう。2〜30分歩いた所で地図に無いトンネルが現われやっと間違いに気づいた。道を聞いた地元の方が寺の前まで送ってくれる。「桂浜まで乗せてあげるよ」と云われたが、訳を話して丁重に辞退する。

 

  

             浦戸大橋を渡り桂浜へ                桂浜にて

 今日は時間の余裕がありそうなのでちょっと遠回りをして「桂浜」へ行ってみることにする。フェリーの渡しを避けて浦戸大橋を渡る。この大きな橋、出来た頃はフェンスも無く自殺の名所になったとの事で今は高いフェンスが張ってある。

 それでも高所恐怖症の私にとっては怖くて大変だった。橋のフェンス側はとても歩けず、歩道の中の車道側をこわごわ渡り終える。途中でカメラを出すことも出来なかった。

 料金ゲートのすぐ脇からよく整備された遊歩道で山に登り、景色の良い海を見ながら下った所が「桂浜」。

1時間ほど遍路を忘れて観光客になりました。

 4時30分33番「雪蹊寺」門前の高知屋に到着。荷物を置いてお参りを済ませ、境内に柑橘類を売っている店があったので自宅やらへ「小夏」を送る。

 新聞や雑誌に良く取り上げられる「高知屋」さん、今夜の宿泊者は歩き遍路の人のみで6名。ほとんどの人が顔見知りだった。 評判通り宿の人達は明るいし、洗濯も全て預かりすっかり乾かして返してくれる。食事のときはずっと同席して話し相手になり、明日の宿等情報も教えてくれる。 部屋の壁には、高知屋さんを取材した「新聞記事」が貼ってありました。

 
歩行推定距離 歩行歩数 宿泊先 出 費 うち宿泊費 備  考
23.1km 33,986歩 雪渓寺前「高知屋」 19,790円 6,000円 土産代

 

14.雨の中「清滝寺」から塚地峠越え、宇佐大橋へ・厳しい一日(14日目・5/10)  

  

             雨の中高知屋を出発             清滝寺はどしゃ降りの雨

 6時30分昨夜「高知屋」へ同宿した6名が雨の中を相次いで出発。それぞれ歩く速度が違うので並んで歩くことは無く、だんだんに間隔が開き先頭の人は見えなくなってしまう。雨の中を歩くのは今日で3日目、だいぶ慣れてはきたが今日の雨は強くて足元も重くなってくる。 34番「種間寺」は春野町にある、この町名は西武ライオンズのキャンプ地だから良く知っていた。1時間半ほどで到着、雨なのでカッパを着たままでお参りする。

 仁淀川大橋を渡り、堤防を歩き、土砂降りの雨の中を「清滝寺」へ登る。 本堂から石段をおりた境内に大きくゆったりした休憩所、特に雨の日にはこうした施設があってくれると本当に助かる。 カッパを脱いで身体を拭いてゆっくり休憩。途中の無人販売所で買った「小夏」を食べ、1時間ほど休み11時50分山を降りる。急坂の道は、大量の雨水が勢い良く滝のように流れていた。

 堂尻からトンネルにするか「塚地峠」を越えるかで迷った。途中で会った地元の人は「雨が強いからトンネルを」と峠越えは勧めなかったが、ここは意地を見せて峠を選ぶ事にした。

 一人で遍路をしていてこうした判断を自分でしなくてはいけないことが随所で起きてくる。左右に道が分岐していて道しるべの見当たらない時や、2コースある遍路道のどちらかを選ぶ時や、今日の宿泊先を決めるときなどだ。相談する人がいないから自分で決めざるを得ない、経験の無いことだから結果として大成功の場合も失敗したと思うこともある。

 雨で足元は滑りやすく、深い木々に覆われた塚地峠はもやっていて薄暗い、峠を登り始めてすぐ不安になってきた。「今日、私の後にこの峠を越える人はもう誰もいないかも知れない、もし足でも滑らせ動けなくなったらどうなるのだ? 携帯電話は通じるのだろうか?」 慎重に慎重に一歩一歩を進め、約30分・800mの急坂を登り、峠を越えた時はほっとした。下りは登ったときとはうって変わり道もやさしく緩やかな坂を下って行く。

  

         塚地峠・<宇佐へ至る・高石へ至る>     風雨の強い宇佐大橋を渡る 

 3時10分ずぶぬれになって「汐浜荘」へ到着。「なんとか納経に間に合うでしょう」の声で荷物を玄関に置かせてもらい宇佐大橋を渡る。この橋を渡り終えた時の土佐湾の荒れ様はすごかった。天気が良ければ美しい所なのだろうがやっとのことで36番「青瀧寺」へ到着。強い雨なので20分ほどで又同じ道を引き返し5時過ぎ汐浜荘に戻る。

 宿のおかみさんが洗濯をしてくれて部屋に暖房を入れ干してくれる。 終日雨に降られたので、リュックが肩や底からしみた水でぬれてしまった、夕食後荷物を全て出してドライヤーを使って乾かす。昨日一緒だった6名のうち4人が今夜も同宿、他の2名は青瀧寺の近くに泊まるとの事。他に一部バスを使いながら歩いていると云う女性4人のグループ。「調べてきたバスの時間表がほとんど変更されている」と嘆いていた。

歩行推定距離 歩行歩数 宿泊先 出  費 うち宿泊費 備  考
34.1km 48,837歩 宇佐町「汐浜屋」 7,500円 6,000円 -

 

15.佛坂遍路道・角谷トンネル・須崎市安和へ(15日目・5/11

 昨日の悪天候を償ってくれたかの様な良い天気になる。さわやかな風の中、浦の内湾の美しい岬をまわりながら快調に歩く。 昨日ぬれた靴もすっかり乾かしてあるので、足の痛みも殆ど感じなくなった。

 何処まで歩いても景色の変わらない「浦の内湾」の後は、浦の内トンネル・仏坂遍路道(岩不動)・角谷トンネルと山越えの連続となる一日だった。 佛坂にはまだ新しい「平成遍路石」、ここで珍しく「逆打ち」の遍路さんとすれ違う。 山道に入る前、畑仕事をしている地元の方との会話「何処から来たのか?」 「埼玉県です」 「遠くだねー、私も歩きたいがなかなか行けない。こちらの人はあなた方をうらやましく思っているよ。気をつけて行きなさい」四国の人も歩き遍路は夢なのだろうと思う。

 岩不動への下り、ロープが張ってあるほどの急坂があった。誰も居ない「岩不動尊」で休憩(11:00)する。「長い下りのあと須崎市内を通過、ホームセンターで雨具(ポンチョ)を購入。土曜日のせいか宿泊希望の、中土佐町の宿は2軒とも満員なので6kmほど手前の安和に予約をする。 時間の余裕が出来たので、新荘川橋を渡ったところで「道の駅」や「土佐魚菜市場」等へ寄って買い物を楽しんだ。

         

                     浦の内湾             佛坂遍路道にはロープが 

 安和の「岬旅館」、宿泊者は私のみ。3時半には到着、広々した部屋でくつろぎ、ゆっくりと風呂。隣がコンビになので足の消毒薬やらを購入。夕食の料理もたっぷりで酒やビールが進みました。

 この夜、高知の「鈴木さん」から」携帯に電話をいただく。私のホームページ「落語」が縁で四国へ出掛ける直前知り合いになった方である。「高知に着いたら連絡を下さい。一緒に歩けるところがあるかもしれません」とメールをいただいていた。電話をいただき、忘れていた訳でもないのに、高知の夜に電話もしなかった失礼を申し訳ないと思った。 「甘えてはいけない」の思いもあったが、連日歩くこととの戦いで「無我夢中」だったのだと思う。 でも「激励の電話」は嬉しかった。 

歩行推定距離 歩行歩数 宿泊先 出  費 うち宿泊費 備  考
27.2km 37,934歩 宇和町「岬旅館」 12,260円 6,800円 -

 

16.焼坂峠・そえみみず遍路道・37番「岩本寺」宿坊へ泊まる(16日目・5/12) 

   

                   焼坂峠            そえみみず遍路道・登坂口 

                                    七子峠4.8キロ・岩本寺17.9キロ   

 6時40分焼坂峠へと出発、5分ほど歩くと民宿「あわ」に泊まった顔見知りの二人が10mほど前を歩いている。一緒に峠越えをする、山の中は一緒に歩いてくれる人がいるのは心強くて有難い。 標高は228mだが、遍路道の峠は何処でも険しい。約45分、息もあがった頃やっと下りにさしかかる。 ここで地元の「野鳥保護員」の腕章を巻いた方に会って約1時間の下りを一緒に歩いてもらう。

もう70歳にはなっているのだろうが足は達者だ、すごいスピードで下って行く。地下足袋で、足をハの字方型に出す歩き方は惚れ惚れとするほどだった。 「この峠も昔は小型のバスが走っていた」とのこと、随所にその名残があってびっくりさせられる。 今は高速道路の計画があって測量中,あちこちの木に標識のリボンが結び付けてある。 こんな山中の遍路道を高速道路が横切るのだね。

 9時20分「そえみみずへんろ道」の登坂口。 この道は「へんろみち保存 

協力会」が遍路修行のシンボルコースとして位置付け毎年草刈行事をして

いるとの事。 登り始めてすぐ奉仕者の名札が立てられている。

こうした皆さんの奉仕があってこそ「へんろ道」が存在するのだと実感さ

せられる。

 400mの峠越え、1時間半で国道へ出る。登りは最初だけで後はきれいな林の中の尾根道を進む。ここは一人で歩いたが、今朝越えた焼坂峠に比べるべると楽な感じだった。

 それにしても良く晴れて暑くなった。足のマメが固まり楽になってきたら今度は暑さだ。これからは変化の無い国道をずーっと歩くことになる。やたらと喉が渇きコンビニで買ったアクエリアス500CCを一度に呑んでしまう。今夜は「佐賀温泉」までと考えていたが10キロも手前の37番「岩本寺」の宿坊に電話。 「相部屋でよければOKです」 「お願いします」

      

              37番岩本寺宿坊                 宿坊の売店

 2時45分「岩本寺」へ到着。もうあと10kmなんて歩きたくない、「ここにきめて良かった」。

 到着が早かったせいか別館の個室に案内される境内の一角、本堂のすぐ脇である。時間が早いので窪川の町を歩いてみる、古い町並みの中に大型のショッピングセンター等も出来ている。 寺に戻ると門前で自転車の遍路さんが托鉢、座ってひたすらお経を唱えていた。 宿坊の夕食は大勢でアルコールも入って華やいだ雰囲気、2〜30名の団体が3組のほか小グループも数組。

前に座った夫婦が「この宿坊はユースホステルになっていて安く泊まれます」と云っていた。夕食後2度目の風呂にも入る、75歳ほどの戦友会の団体さんが大きな声で楽しそうに話し合っている。「仲間を特攻隊で亡くした、我々は時間の差で助かった」「今回四国に来て本当に良かった、もっと時間をかけてお遍路してみたい」等々・・

歩行推定距離 歩行数 宿泊先 出  費 うち宿泊費 備  考
26.8km 44,656歩 37番岩本寺「宿坊」 8,000円 6,000円 -

 

17.岩本寺から大方町へ・片坂遍路・道熊井トンネル経由山から海へ(17日目 5/13

 

 

    

               岩本寺のお勤め               ユニークな天井絵

 

 6時30分から本堂でお勤め、宿坊が大きいから集まっている人達も多い。読経の後法話や天井絵の説明等がある。朝食の膳に賽銭入れに使えそうな手作りの布袋が添えられてあり皆さん喜ばれていた。

 

 今日は7時半から夕方5時半まで約34km、午前中は山また山の山中をひたすら歩く。            トンネルの上を越える「片坂遍路道」、途中の道しるべには「これより先80m足許悪い、降雨増水の時は国道迂回してください」の案内。幸い好天なのでこの急坂を下ることが出来る、約40分ほどで又国道に合流した。 川に沿った山中の国道を歩いていると突然車のクラクション、振り返るとすれ違った車から婦人が降りてきて黄色の布袋に入ったお菓子の接待をいただいた。1時間も国道の歩道を歩いていると単調で眠くなってしまう、「歩きながらの居眠り」車にすれ違いはっとして我に帰る。こんなときはバス停で長時間の休憩をする。

 午後1時40分やっと海の見える道路に出る。

やはり海の見える道のほうが気持ちが良い。土佐西南大規模公園のベンチで昼食。よく晴れているので海の色がきれいで眺望が素晴らしい。

 

 ここで今夜の宿を予約、ここから15km先の大方町。 本当は前夜翌日の宿を決めるのが良いのだろうが、歩き始めてみないと、どのあたりまで行けるかの見当がつかないのでいつも昼頃決めることにしている。

 

 やはりこれから歩く先の目標がはっきりした方が歩き方に気合が入る。2時からあと15キロ、6時前には宿へ着くように定めここからはほとんど休憩なしで歩き続け55時半に「西洋館」へ到着。「うすき旅館」の敷地内にしゃれたホテルがあって美味しいステーキを食べさせ     佐賀町付近の海岸        てもらった。同宿者は顔見知りで通しの歩き遍路さんが2名。

 

 宿に着いて靴を点検したらびっくりするほど底が減っている。この調子では終りまで持ちそうに無い。出発前の1年間、同じメーカーの同じ靴を履いて2000km以上大丈夫だったのでこの靴を選んだのだが・・・

やはり荷物の重量と、歩く道の険しさで予想以上に減ってしまったようだ。せっかく足になれてマメも固まり、気持ち良く歩けるようになった靴なのでなんとか終りまで持たせたいものだ。

 

 

  

      片坂遍路道                熊井トンネル              ひたすら歩く

歩行推定距離 歩行歩数 宿泊先 出 費 うち宿泊費 備 考
34.0km 38,552歩 大方町「西洋館」 9,600円 7,000円 -

 

18.四万十大橋を渡り大岐「民宿岡田」まで(18日目 5/14

 6時45分珍しく洋食の朝食、久し振りのコーヒーで美味しかった。昨日歩けなかった自然遊歩道の海岸へ出る。広大な海が広がり、早朝だけれど散歩の人や早くも海に入っている人達もいる。海岸沿いの砂地は広い広いラッキョウの畑、大勢の人達が作業に精を出していた。

 運動公園やら新しい広い道が出来ていて不安だったがなんとか間違わずに「かせき橋」を渡ることが出来る。宿を出る際「橋を渡って行きなさい」と云われていたので、渡し舟は諦めていた。田ノ浦で「四万十大橋への近道」の道しるべ、迷いに迷ったがこの道しるべ通りに進むことにした。

 新しく出来た広い広域農道、車や人の往来はほとんど無い、この単調な道が大橋まで延々と続いている。大橋までの距離表示は全くといっていいほど無い。地図にも載ってないからどれだけ時間がかかるかも解からず、退屈しながら杖を腰に刀のようにさして大きく手を振って歩いたりした。10時5分やっと四万十大橋に到着した時にはほっとして嬉しかった。 案内板によるとこの大橋、景観を良くするためにセメンの堤防の上に土を入れ緑に覆われるような工事をしたとの事。橋の袂の休憩所で20分ほど休憩する。橋を渡り、しばらく四万十川沿いを歩くと今度は山道となりトンネル。「伊豆田トンネル」は長さが1,620m、今までの中で最長だ。歩道はあるが車の通行量はかなり多い、トンネルの中を25分近く歩くのは余り気持ちの良いものではなかった。こんなときはもっている杖を大きくついて「南無大師遍照金剛」・・・鈴を大きく鳴らすと元気が出て来る。

 トンネルを出たドライブインでうどんの昼食、先客に夫婦の歩き遍路さんが居た。ここで13キロ先の大岐に宿を予約。1時20分から約3時間休みなしに歩いき夕方「民宿岡田」に到着。途中金剛福寺よりの打戻りの遍路さんに2人会った、2人ともかなりのスピードなのにはびっくり。明日私にこんな歩きが出来るのだろうかと不安になった。

 今まで数回一緒になった埼玉の「Y」さんと途中のバス停で会う。やはり清滝寺へ登った雨の日に足を痛めてしまったようで一部バスを使うとの事、この夜の宿が一緒になったが非常に残念そうだった。 それにしても私の足は一週間前のあの痛さからは全く解放され、我ながら信じられないほどの回復力を見せてくれている。     とは言え、痛みは無くても午後になってくると意思に反して思うように歩幅は伸びず、情けないような歩きになってしまう。

   

                 四万十大橋                 大岐の海岸

歩行推定距離 歩行歩数 宿泊先 出 費 うち宿泊費 備 考
37.6km 39,800歩 大岐「民宿岡田」 8,700円 6,500円 -
 

19.大雨の中、足摺岬38番「金剛福寺」を打戻り、下ノ加江「安宿」まで。(19日目・5/    15

 楽しみにしていた足摺岬は雨の中を歩くことになってしまう。前夜頼んでおいたむすびを食べて5時20分同宿者の中でトップに宿を出る。リックの荷物は中身をほとんど出して食糧・納経帳等必要なものだけを持つ。 先日買ったポンチョが効果を発揮して上半身は全く濡れることなく歩くことが出来る。 早朝この時間に歩いているお遍路さんは全くいないで足摺岬までの4時間20分の間誰にも会うことは無かった。

 以布利を過ぎた頃の山中で車道を4分の1くらいにショートカットする急坂の遍路道がある、距離はわずかなのだがかなり厳しい、往路は挑戦したが強い雨の日はやめた方が良いかも知れない。復路は車道を選択した。 それにしても風雨が強かった、特に山中から足摺の海岸線に出た時は一歩足を前に出すのも大変な状況で、「これではとても足摺岬まで行けるはずが無い」と思ったほどである。 一瞬「ここで完全な歩きも終りなのか」と思いながらゆっくり進む「まあ最悪の場合はたまにすれ違う車にSOSを出そう」。 

 それでも窪津漁港を通過する頃には風雨もやや内輪になってくれほっとする。帰りも又この道を戻るのでショートカットする遍路道の出口を記憶しながら進む。9時40分やっとのことで「金剛福寺」に到着。ほとんど無人の本堂でお参り、これから帰る事を考えるとゆっくりとした気分にもなれなかったが、せっかくだからと思い雨具を脱いで足摺岬の展望台までは足を伸ばす。流石に観光の若い人達のグループがいて賑やかだった。写真を数枚撮って早々に帰り支度をする。

 復路の方がやや風雨がおさまってくれる。30分ほどしてこれから金剛福寺へ向かう人達と次々に10名程すれ違う。強い雨で腰を降ろす場所も無く、往復とも室津漁協の倉庫でリュックをおろしただけだった。昼食もカロリーメイトを歩きながら食べただけである。大岐に戻り「靴を脱いで川を渡る」と云う浜辺の道に出て濡れついでだからと思い靴を履いたまま増水している川の中を渡る。

 3時に朝出発した「民宿岡田」に到着、まだ今夜の宿、下ノ加江「安宿」まで2時間歩かなくてはいけない。休む間もなく又荷物を詰め込んで出発。早朝5時20分から強い雨の中を歩き通しなのでこれからの2時間は大変だった。

 5時前「安宿」へ、宿の夫婦に玄関前まで出て暖かく迎えてもらい到着。主人が濡れた靴の手入れ方法や、洗濯の手順、明日の道順,、昼食の場所等について親切に教えてくれる。

 今日は強い雨の中を歩行時間11時間半、歩数61,200歩、推定距離44km遍路期間中最も厳しい一日となった。 同宿は顔見知りの「中川君」(広島)と福岡から来ている「川口さん」夫妻。

   

               38番金剛福寺山門           足摺岬(雨なのだけれど)

 

 「足摺岬を越えたら半分は終り」と皆さんが云っている。私の遍路もこれで半分無事に終わった。

 

歩行推定距離 歩行歩数 宿泊先 出 費 うち宿泊費 備 考
44.0Km 61,238歩 下ノ加江「安宿」 8,400円 6,500円 -
  

20.三原村の深い山中から39番「延光寺」へ・宿毛市へ泊まる(20日目・5/16

 今日も雨、二日連続で降られるのは初めての事、午前中いっぱいで小雨にはなったが夕方まで完全にやむ事はなかった。 昨夜新聞紙を入れ手入れをした靴は、ドライヤーをちょっと当てたら快適な状態になっている。 気合を入れて6時半に出発、同宿した4人の中では一番早く出たのだが1時間もしないうちにすべて追い抜かれてしまう。自分ではそれほど遅いとは思っていなかった歩行速度だがちょっと自信を無くしてしまう。

 それにしても三原村の山中は深くて長い、幾重にも重なる雨に濡れた新緑や、水量の多い渓流は文句無に素敵なのだが、歩けど歩けど第一目標の三原村役場に着かない。 途中のバス停で休憩、先行した3人が私が着くのを待っていてくれて情報交換。「延光寺まであと16km程だから頑張ろう!!」

     

                       雨の中三原村の山中をひたすら歩く

 

 ひたすら歩くこと5時間やっとのことで三原村役場に到着し、ここで昼食を食べる。今夜の宿は39番前の民宿にお願いしてあったのだが、この調子だと3時前に着きそうなのでキャンセルしてもらい7km先の宿毛市まで行く事にする。 午後「船ヶ峠」からの下りでちょっと苦労した、川に沿ってダムやトンネルを越える広い自動車道なのだが、ここでも「道を間違えたのではないか」と思うほど長く感じられた。後になって解かった事だがこの部分が「へんろ地図」のページが変わる所で、3kmほどカットされていたのだ。そのせいでもうとっくに着いているはずの「稲荷大明神」がなかなか現われなかったのである。 こうした不安を抱えながら歩く道は遠く感じられるし疲れかたも倍以上になってしまう。こんな時に「道しるべのへんろマーク」が現われてくれると何ともいえずほっとした気分になり、元気が戻ってくる。

 

 2時45分苦労した「延光寺」へ到着。 雨のせいかお遍路さんも少なかったが私が帰る頃、大型バスやマイクロバスがやって来た。 ここから1時間半小雨の中を歩いて宿毛市、商店街のアーケードの中にある「米屋旅館」に宿泊。 数名のグループ遍路さんが2組、歩きは私だけだった。

 

歩行推定距離 歩行歩数 宿泊先 出 費 うち宿泊費 備 考
39.6Km 44,586歩 宿毛市「米屋旅館」 9,400円 6,000円 -