3.40番から59番まで 21.松尾峠を越えて愛媛県に入る、40番観自在寺へ(21日目・5/17). 遍路の最中に62歳の誕生日を迎える。歩き遍路の中では高齢の方かなと思っていたがとんでもない、私よりもずっと元気良く歩いている大先輩に何人もお会いした。 宿毛市街を過ぎてすぐに山道を登り始める。細い遍路道は、朝露をたっぷりつけた草が一面に覆っていて私の靴はたちまちずぶぬれになってしまい雨の中を歩いたのと同じ状態になってしまった。1時間半ほどで「松尾峠」の登り口に着く。 案内版によると「この峠は、伊予と土佐の国境にあり標高300m、江戸時代から武士、商人、遍路等の通行が盛んで、1801年の記録に多い日は300名が通ったと記されているとの事」途中路面を整備した「石畳」や景色の良い「茶屋場跡」そして戦時中「松根油」を作る為松の木を掘った大きな穴等が残っている。 この峠を越えるのに足許が濡れ重くなっていたせいか予想以上に大変で、午後のダメージとなってしまった。 一本松町の商店で昼食の弁当を購入、これからの道を親切に教えてくれる。 車道に出てからも深い山の中の道を登ったり下ったりの繰り返しで大変だった。どうも山中の車道は大きな変化が無くて苦手である。 2時観自在寺に到着、御荘町の市街地にあって境内には柑橘類等を売っている店も2軒出ている。車遍路さんのグループに呼び込みの声をかける光景等もあり他の寺に比べ賑やかだった。 この近くには旅館等の宿泊施設が沢山ある、まだ時間は早いのだが歩行距離の割には疲れてしまったので今日はここまでとする。 御荘町の中心街からちょっと離れたBHへ予約なしで入る。宿泊者は、全く偶然に一昨日「安宿」で同宿だった4名のみだった。 この日「柳家 小さん」死去のニュース。
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22.宇和島市まで(22日目・5/18)
ホテルの部屋で朝食を済ませ6時10分出発。左手に内海の穏やかで美しい海が続く。同じ海でも土佐の海とは全く違う風景である。良く晴れてきたので歩いていても気持ちが良い。 内海村の柏から津島町の大門へ至る間は柳水大師、清水大師を経由する標高450mの峠越えとなる。所要時間は3時間とのこと。 ほとんど毎日数箇所の難所が待ち構えていて楽をさせてもらえる日はほとんど無い。今日もこの峠ではしっかり汗をかくことになった。 峠を登りきり平坦な道がしばらく続き途中の「つわな奥展望台」からは写真のような美しい眺望を楽しむことが出来た。 ここから下りにさしかかる頃工事中の林道に出たが、ここで道を間違えてしまい茶堂に行く山道でなくこの林道を不思議とも思わず下り始めてしまう。 気づいたときはもう遅くて、それから茶堂からの道と合流するまで長い長い林道を歩くことになってしまった。 歩けど、歩けど同じ山中で「何処へいってしまうのだろう?」と思ったほどだった。 下畑地の国道と並行する自転車道の土手に腰を下ろして昼食。旅館が多くある津島町は2時前に通過、宇和島に至る松尾トンネルで旧国道にするか新国道にするか迷ったが、先程道を間違えたダメージと宇和島まではまだ10km以上も残っているので排気ガスの心配はあるが距離の短い新国道のトンネルを歩くことにする。1710mもあるのだが考えていたよりは楽に歩くことが出来た。 5時前に宇和島城前の旅館に到着。この頃又元気が盛り返してきて1時間近くかけて宇和島城の天守閣まで登ってくる。 お寺へのお参りは全く無く、移動だけに一日だった。
清水大師付近 宇和島城
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23.2日振りに寺のお参り。41から43番まで・厳しかった「歯長峠」(23日目・5/19) 朝食はむすびにしてもらい早朝出発する。宇和島の駅前は数年前一度来たことがあるがやしの木が植わっていて南国風、当時と全く変わっていない。 何時もの事ながら市街地を通過するのはなかなか難しい、地図にある県道に出るまでは神経を使う。 市内から1時間の所で、兵庫のお坊さんMさんに会う。写経を持ち、区切り打ちで暇を見つけて歩いているとの事、寺に葬儀があったりすると奥さんが車で迎えに来るとの事だ。理由は聞かなかったが素足にテーピングをしてサンダルで歩いてい居られる。43番の「明石寺」まで一日一緒に歩いていただく。 8時45分宇和島から1時間40分ほどで41番「龍光寺」へ到着、お稲荷さんの鳥居と同居するユニークな寺である。私もここまで進み、そこそこのお参りが出来るようになって来た。 龍光寺脇の急坂をちょっと下り42番「仏木寺」まではわずか45分。田の中の道でちょうど秩父の巡礼をした時と同じような道だった。 寺の直前でおばあちゃん(高田さん)から呼び止められ、家に招き入れられてコーヒー等の接待を受ける。 80歳を越え一人で住まわれているとの事。 5円玉を渡され私の手を額につけられ「お寺に着いたら鐘をひとつ鳴らしてください、良く聞こえますから一緒にお参りをします」と云っておられた。 にわか遍路の私は、ドキマキするばかりだった。 10分後寺に着き、おばあちゃんの顔を思い浮かべ真っ先に大きく鐘をひとつ撞いた。 43番「明石寺」への歯長峠は一部鎖が使われていて予想外の難所だった。車道を選択する方法もあったが迷わず峠を選ぶ。後で地図を見たら標高が500m近くあった。 汗をかき息を切らせて登り「送電鉄塔」付近で食べた昼食が美味かった。
鳥居と同居の龍光寺 鎖のある歯長峠 登り終わって昼食
2時前に43番「明石寺」到着。兵庫のMさんとはここで記念写真を撮って別れ、その後会うことは無かった。この日、今まで「白衣は恥ずかしいから」と思っていたのだが、明日からでも「白衣・菅笠」で歩こうかと言うような心境の変化が起こってきた。明石寺の売店を覗いてみる。 今夜はここから4km歩いた「宇和パークBH」に泊まる。すっかり顔見知りになった神奈川の「能野」さんと同宿、一緒にサウナに入り夕食を共にする。
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24.44番「大宝寺」までは71km、3日かかる。今日は内子町まで。(24日目・5/20) 明石寺から44番「大宝寺」までは71km、とりあえず今日は行ける所迄歩くことになる。まる2日間お寺のお参りをせずにくのは、室戸岬と足摺岬へ向かった時に続き今度が3度目である。今回は全く海のない場所を歩くことになる。
鳥坂峠 大洲市を通過 内子町・内子座
早朝ホテル前のコンビニでサンドイッチと牛乳を買い部屋に戻って朝食。こんな時24時間営業のコンビには全く便利だ。6時半スタート、隣の部屋の「能野」さんは既に先発した気配である。 寒く感じるほどの早朝の冷気が心地よい。 足の状態も全く問題なし、マメが出来て固まりその上に又マメが出来、それも固まりもう大丈夫になった。脚力も遍路をはじめた頃より余程強くなっているように感じる。 国道56号を1時間半ほど進み鳥坂峠にかかる、トンネルのほうが1時間早いとのことだが当然遍路道の峠越えを選択する。 しかしここで又道を間違えてしまい、トンネルが出来る前の旧国道を登り始めてしまう。「変だな」と思いながら30分ほど登った所で犬を連れた地元の方に会って間違いを指摘される。「この道でも同じ場所に出るがまだ戻ったほうが良い」と言われ一緒に今来た道を20分ほど戻ることになった。 国道から分岐して5分ほどの所で山道に入る場所を見落としてしまったようだ、教えてもらった林道を15分ほど歩いて本来の遍路道に合流する。やはり分岐点はもっと慎重に神経を使わなくては駄目だ。何とか峠を越えて10時札掛大師堂で小休止をする。 午前中大丈夫だった足は道を間違えたダメージのせいか11時でもうすっかり疲れた足になってしまう。 大洲市は広い。3時間歩いてまだ大洲市、有名な「十夜ヶ橋」は横目で見て通過してしまった。後になって後悔したけれどもう遅い。 3時40分内子町の宿に到着、「木蝋と白壁の町」明治時代の町並みを今に残している。観光バスの団体客が来ていて、外国人の観光客が大勢町の中を歩いているし、歌舞伎の「内子座」の前は団体客で大賑わいだった。疲れてはいるけれど風呂に入る前、1時間ほど市内を歩く。 四国にこんな町があるとは思わなかった。
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25.45番⇒44番と逆に打つことに決め、久万町「富士旅館」まで。(25日目・5/21) 地図を見ていると45番「岩屋寺」を先に打つ方が同じ道を戻らなくても良いから効率的だと思う。今日は約36km先、久万町の「富士旅館」を予約する。 5時30分前夜頼んでおいたむすびを持って出発。今日も早朝の空気が気持ち良い、午前中元気なうちに、なるべく距離を稼いでおくと一日が楽になるから、出発直後はなるべく休憩しないで先に進む事にしている。「筏流し」で話題になる山中の小田川沿い、清流も深い山の緑も早朝の空気の中で神秘的な感じがする。
筏流しの里 真弓トンネル手前の山中 四国を歩き始めてからすれ違う全ての人に「おはようございます」「こんにちわ」等の挨拶をしているが、2時間ほど歩いた頃、集落の道路脇にいる老婦人に挨拶をすると深々と「合掌」をされる。ちょっと戸惑い照れてしまったがが、この時「そうか私は、ただ歩いているのではなく金剛杖を持って遍路をしているのだ、これからは白衣・菅笠で気持ちも改めて歩こう」と思った。 9時内子町から小田町に入り「突合」の分岐、ここまで3時間半休まず歩いて来た。ここが、ひわた峠経由と伊予落合経由との分岐点、私は予定していた通り伊予落合経由を選ぶ。小田町の集落を過ぎると「新真弓トンネル」に向かって長い登りとなる、時々大型トラックとすれ違う国道380号だがトンネルの手前から「遍路道」に入り標高580mまで、かなりの急坂である。 このトンネルを越え伊予落合までの間暑さもあって考えていた以上に大変だった。この間に軽四輪の車の方2人から「乗せて行きましょう」と相次いで声をかけられる。 自分では、しっかり歩いていたつもりだったが、他人から見ると余程疲れているように見えたのかもしれない。 ひたすら山中を歩いた一日、万歩計は51600歩となる。3時15分新落合橋脇の「富士旅館」(エレベーター付の新館・リバーサイド富士)へ到着。
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26.3日振りで45番「岩屋寺」へ(26日目・5/22)
岩屋寺大師堂 奥入瀬渓谷のようだった
久万町落合の「富士旅館」から河口・槙谷を経由して45番「岩屋寺」へ向かう。今日もまた深い山中を歩く、 1時間45分ほど車道を登り8時45分山道に入る。30分弱の登りだが、急斜面を直線で標高770mまで登るからかなりきつかった。 ここからしばらく行くと「八丁坂の茶屋跡」、岩屋寺へ1.9キロ・大宝寺へ7キロの合流点だ。雨が降り出し、草木に覆われた尾根道のいたるところに「まむし出没・注意」の看板があり、余り良い感じはしない。
10時15分大きな岩に囲まれた「大師の行場・せり割禅定」の脇を下り、3日振りで「岩屋寺」に裏側から到着。大きな岩に囲まれた寺を見て深い山中にやって来たのだと言う実感が湧いてくる。雨だったがバス停から30分近く歩く本堂までかなりのお遍路さんが足を滑らせながら急な石段を登って来て居る。車遍路の人でも老齢の方は大変だろうと思う。
国民宿舎「古岩屋荘」前まで川沿いの道を下る、もみじが一杯で紅葉の頃はさぞ綺麗だろうと思う。十和田の奥入瀬渓谷を思わせるような景色だった。ここで昼食、私と同じ埼玉県から来たと言う2人連れと同席になる。一部バスを使って歩いているとの事だった。峠御堂トンネルのすぐ脇から山道に入り、710mの山を越え3時前に、44番「大宝寺」へ到着。今夜はこの近くの「でんこ旅館」へ宿泊。玄関を入った目立つ所に「左幸子」の色紙がかけてあった。
数日前からひどくすりへった靴底はとうとう限界に近づいて来てしまった、テーピングで補修をしているがあまり効果はないようだ。新しい靴を購入するか、自宅から履きなれた靴を宅急便で送ってもらうか迷っている。
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27.道後温泉に到着。46番から51番まで6ヶ寺を打つ(27日目・5/23) 国道33号を標高700mの三坂峠まで1時間半かけて登り、ここからの下りは「遍路道」に入る。遠くに迂回する国道を見ながらかなり直線的に下って行く、1kmで300m下るからかなりの急坂である。「これが登りでなくてなくて良かった」と思うような道はここだけでなくあちこちにあった。 これほど山の中までと思うような場所がきれいに開墾されていて田植えが済んでいる。能登で見るような千枚田である。道路もちゃんと簡易舗装されている、もっと平坦な所に減反政策で補助金が使われているのにね。この峠をバイクで越えようと登ってきた若者が、畑仕事のおじさんに諭され戻って行った。無理に決まっているよ。 この下りの途中に石材で作った新しい「お遍路さん休憩所」夏みかんやお菓子の接待がある。長い下りで疲れもピークなので休ませてもらい「夏みかん」をご馳走になる。 置いてあったノートにはお礼の言葉が綴られている、昨日は一人その前は三人。 犬の散歩から戻った奥さんにお礼を言う事ができる、「定年後の主人が少しずつ作っています。このあたり休憩所がないのでお接待させてもらっています」と話していた。
三坂峠へ お遍路さんの道の駅 10時30分46番「浄瑠璃寺」に着く、これから夕方までに47番「八坂寺」(15分)48番「西林寺」(1時間15分)49番「浄土寺」(50分)50番「繁多寺」(30分)51番「石手寺」(40分)と松山市に点在する6ヶ寺を打つ。 本堂脇で正座をしてお経上げている老婦人、かなりの部分を歩いているとの事、ご主人の額に入った写真を胸にしてお参りをしている婦人、北海道から最近越してきたとのことだが歩き遍路を待っていて自家製パンの接待をする女性、「私もお接待をしてもらったので・・・」様々な人にふれあった一日だった。 51番「石手寺」は道後温泉、4時過ぎだがお遍路さんより観光バスのガイドさんが案内する観光客のほうが多い。納経所も団体客が前に居て15分ほど待たされた。 (白衣・菅笠を購入) 歩き始めてもう27日もたっているのだけれど「石手寺」の門前で購入した。明日からは白衣で歩く決意をする。それにしてもお店のおばちゃん、菅笠のかぶり方や紐の締め方を説明した後62歳の私に向かって「お兄さん頑張ってお参りしてね」だって。 (新しい靴を購入) 絶対大丈夫と思っていた靴は底に穴が開く寸前になってしまった。新しいのに交換するのは靴擦れやマメが心配なので何とか最後まで持ってもらいたいと思っていたがもう限界。今日は、道後で良いものがなければ電車で松山まで行くつもりでいた。 何とか道後の大型スーパーで足に合う靴を見つける事が出来てこの靴を購入する。 この靴を履き慣らそうと夕食後道後温泉の散歩に出る、「道後温泉本館」前や観光客で賑あう温泉街を10時頃まで歩き回る。
夜の道後温泉
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28.今日から気分一新、白装束・菅笠で歩く。(28日目・5/24) 今朝から気分を一新して白装束・菅笠で歩く。やはり気分が引き締まり、お遍路さんの仲間入りが出来たような気分になった。白衣は袖口が広く風が入るので涼しいし、今まで着ていた半袖シャツより日焼け防止にもなる。ポケットにファスナーもついていて考えていたより快適である。 菅笠は野球帽に比べずーっと大きいから日除けにはなるが、下からの風を受け脱げそうになるし、歩くたびに少しゆれてギスギス音がする、まだなれないのでぎこちない。そのうちに慣れるだろう。 昨夜道後で買った新しい靴、靴ずれが心配なので注意してゆっくり歩く、何とか大丈夫のようだが今までの靴と硬さが違うので脛にちょっと違和感がある。 道後温泉から松山市の郊外、自転車に乗った通勤・通学の人達とすれ違いながら52番「太山寺」へ向かう。寺の手前で道を教えてくれた地元の方が山門まで30分ほど一緒に歩いてくれた。 山門からかなりの距離の坂道を歩いて本堂へ着く。 リュックを下ろしベンチに置いて本堂前へ行く、ろうそくに火をつけ線香を立てる、賽銭・納札を入れ、経本を見ながら「般若心経」をぎこちなく唱える。そして大師堂へ行って同じお参りをする、最後に「納経所」へ寄って納経帳に墨書授印をしてもらう、納経料金は300円。これがお参りの手順、本堂に着いたときの鐘は撞いたり撞かなかったりいろいろ。 30分ほど歩いて53番「円明寺」、これで松山市の8ヶ寺は終り、2日間で寺の数はかなりはかどった。次の54番「延命寺」は今治市、10時間はかかる。今日は途中の菊間町まで歩く事にする。
太山寺山門 (今日から白衣で) 国道196号線
11時半堀江町を越えて国道196号は海沿いに出る、瀬戸内海だ、よく晴れているから海の青さも一段ときれいに見える。これから菊間町まで20km弱、この国道をずーっと進む事になる、目標は5時。 粟井坂大師堂で昼食、30分ほどの間に地元の婦人が一人お参りに見えた。 北条市を通過、中心地には「花へんろのまち・北条」と言う大きな看板があった。 この後岬をまわる国道からそれて浅海まで「鎌大師」経由の山越えの道に入る、標高はそれほどないが、青い海とこれから歩く国道沿いの家並みが豆粒のように見える。
今日泊まる菊間町は「海と瓦の町」国道沿いには瓦屋の建物がずーっと並んでいる、遍昭院を通り過ぎて旅館に到着。5時10分だった。
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29.今治市へ、58番「仙遊寺」宿坊へ泊まる。(29日目・5/25) 昨夜神奈川の「能野さん」と同宿だった。宿泊者は我々2人だけ、早朝一緒に出発して夕方まで一緒に歩いていただく。この「能野さん」も全て歩いている、69歳との事だが若い、とてもそんな年齢には見えないし足も速い。1番を出たのが4月26日だから私とほとんど一緒だ、初めて同宿となったのは17日目の大方町「西洋館」、打ち合わせている訳ではないのだが同じ宿になることも多い。顔を見かけなかった日はほとんどないと思う。 私は写真を撮ったりするので時々立ち止まるから前を行く「能野さん」を小走りで追いながら必死に歩いた一日だった。 一緒に歩いていただける人がいる時は、時折話をしたり、ペースを作ってもらったり、道に迷う可能性が半減したりで楽なことが多い。時間も早く経過するように感じるし、疲れ方も少ないと思う、特に山中に入った時には心強い。 反面、楽な分だけ自分で地図を調べ苦労して歩いたと言う満足感・達成感が薄れると言うこともある。
54番延命寺 仙遊寺より今治市、瀬戸内海を望む
昨日に続いて国道196号、美しい瀬戸内海を見ながら今治市に向かう。新しい靴は、あたるようなこともなく履きなれてきた、マメも固まり安心して歩けるようになる。 足が大丈夫になったら今度は荷物の重さで肩や背中が痛くなってきた。リュックのベルトを調節しながら歩く。 3時間ほど歩いて9時30分54番「延命寺」に到着。お参り、納経を済ませて次へ進むまでの時間は25分間。 今治市の高層ビルを右手に見ながら市内に入り55番「南光坊」、寺の名前に「坊」がつくのはここだけとの事。境内のベンチにお年寄りが数名集まっていて声をかけてくれる。「何処から来ました?」「今朝菊間町を出てきました」と答えてしまう。相手が聞きたいのは「埼玉県です、所沢です」なのだろうと思う。こんなことが何回もあった。 今夜の宿泊先58番「仙遊寺」は、57番「栄福寺」のすぐ脇からきれいな犬塚池を見ながら300mほどの山を登る。大きく迂回する車道はあるが、本堂前はかなりきつくて長い石段になっている。息を切らして登るとその境内からは今治市と瀬戸内海の島々が見事に一望できる。 眼下に見える今治市の夜景や、翌朝の日の出も素晴らしかった。 3時には到着、ゆっくりお参りをしてきれいな宿坊に入る。明るいうちに風呂に入りのんびり境内を散歩。5時ぎりぎり頃まで車の遍路さんが登ってくる。 夕方人気がなくなると境内に蛇やむかでが出て来るそうだ。
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30.丹原町「民宿・栄家旅館」明日は難所「横峯寺」へ(30日目・5/26)
仙遊寺住職の法話 仙遊寺宿坊の朝食・玄米粥
昨夜の宿泊者は8名、歩きが3人・車が4人(2夫婦)交通機関併用が1名だった。6時からのお勤めに全員が参加、読経の後丁寧な法話「白衣は死装束と云われてますが、私は平等を表していると思います」「二流でよい、人生を楽しみなさい」住職はS25年生まれとの事、高野山での修行の厳しさや、この寺の住職になってからの苦労話し等をユニークに話される。
明日が難所60番「横峰寺」だから今日はその手前丹原町まで、24km程である。 いつもよりゆっくり出発、仙遊寺の山を下りると59番「国分寺」になる、振り返ると今まで居た場所が「あれほど高い所だったのか」と思うような山の上に見えた。今更こんなことっておかしいけれど「歩くパワーってすごい」ね。 ここから「栄家」までは一人で様々な事を考えながら進む、「所沢を出てもう1ヶ月、とてもそんなに経ったとはとは思えない。時間っていろいろな過ぎ方があるんだ」「遍路が終わる頃にはちょっとはスマートになっていたいね、目に見えるのはそれだけだから」「ゴルフのスコア・・・どうでも良いや」「62歳、もう一度ここを歩くチャンスがあるか?」
2時20分丹原の「民宿岡田」に到着、私が一番早かったが同宿した他の3人もみな早い到着だった。全員顔見知り、夕食の際足の速い静岡のベテランの女性「みんな良い顔になっているね」の言葉が印象に残った。 部屋に庭野隆雄著「四国遍路・65歳から四国88札所1400キロを歩いた記録」が置いてある、夕食後拾い読み、いろいろ参考になる。
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