4.60番から結願まで 31.難所「横峰寺」西条市まで(31日目・5/27).
横峰寺への登山道 同宿の4人そろって横峰時到着 後半の難所と云われている「横峰寺」に挑戦、今日も天候は全く問題ない。6時30分に同宿の「能野さん」と共に出発。石鎚橋を渡り、約2時間半・標高300mあたりの所まで自動車の走る道路を登ってゆく。 道路脇の畑には柿の木が整然と植えられている、 このあたりの柿は、「西条柿」として有名のようだ。 9時、立派な休憩所で小休止して、ここから登山道に入る「道しるべ」には「横峰寺まで2.2キロ・所要時間1時間10分」と書いてある。 ここから「横峰寺」まで約2キロの間に標高740mまで約440mの登りだから随所に急坂がある。厳しいが」道は良く整備されている。4人で一緒に登ったので途中で休憩することなく約1時間で山門にたどり着く。宿を出て3時間半、気合を入れかなりの覚悟で来たから「思ったより楽だったね」というような感じだった。 同宿だった徳島県の若い女性「ここから一人で、2日かけて石鎚山へ登る」とのこと、生半可なことではない登山道には警察署の出した「一人の登山は止めるように」の警告板が沢山あるとの事だ。偉い、感心しちゃった。もう一人の女性も0.5キロ先の「星ノ森峠」まで、ここには大師修行の霊跡があるとの事、女性は強い。私も後になって「ここまでは行っておけば良かった」と後悔した。 苦労して登ったお寺では念入りにお参り、1時間後一人で山を下る。 61番「香園寺」への下りは途中奥の院を経由して2時間40分。標高750mからの下りだから長い、気合が入っていた登りよりかえって辛く感じた。 1時半後に着いた「香園寺」の建物には初めての人は誰でもそうだろうがびっくりした。全て鉄筋コンクリートの近代建築、歴史のある寺も将来は皆こんな風になってしまうのだろうか? それにしても昔の面影をどこかに残しておいてもらいたいものである。 これから4時半までの間に64番「前神寺」までの3ヶ寺を打ち、1時間ちょっと歩いて西条駅前の新らしく出来たビジネスホテルに宿泊。88番までの遍路中「宿泊施設一覧表」に載ってない宿に泊まったのはここだけだった。 ホテル近くの居酒屋で夕食、マスターが、手作りの梅干をタッパーに詰めて「お接待させて下さい」と言ってくれる。
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32.西条市から伊予三島への34キロ(32日目・5/28) 新居浜市、国道11号に平行した旧街道が、商店街や住宅地を繰り返しながら何処までも、何処までも続く。地図を見る必要がほとんどないから歩くのには楽なのだが、5月と云うのに真夏の暑さである。水分の補給をしながら進む。関の原バス停付近のうどん屋で昼食、「お接待です」と言って美味しいアイスコーヒーを出してくれた。2時前に土居町の「延命寺」を通過、寒川あたりからは海が見えてくる、工場の建物や煙突も活気が感じられて雰囲気のある風景だ。 次の難所「雲辺寺」へ登る前日は、麓の池田町「民宿・岡田」へ泊まることにして2日ほど前に予約をしておいたのだが、今日伊予三島まで来た事でちょっと考えてしまう。 ここから「岡田」までは20km「泊まるにしてはちょっと近すぎるが、はたして難所の雲辺寺を越えて宿のある所まで下る事が出来るのか?」夕食後地図を前にして悩む。結局山本町の「民宿おおひら」に電話、「伊予三島からでしたら皆さん超えて来ます」これで決定。 明朝は早立ちすることにして宿の主人に話をすると「朝食分です」と言って600円返してくれた。
ご馳走だった、ビールに酒2本を呑んでしまう。
お遍路さんは3名、余り話は出来なかったが全て歩いているのは私だけだったかもしれない。 夜、近くのコンビニへ明日の朝食を買いに行く。
明日は早立ちだ!!
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33.終盤なのでちょっと冒険を!! 三角寺・雲辺寺を越えて大興寺へ(33日目 ・ 5/29) 66番雲辺寺山門 長かった遍路の旅も終盤になった、今日はちょっと冒険をしてみようと言う気になる。 66番雲辺寺は88ヶ寺中の最高峰、登りもきつくて後半一番の難所と聞いている、宿坊はやってないから登ったら次の大興寺まで下りなければならない。 距離は約37km、平坦な道ならば何とかなるが、三角寺・雲辺寺と山を2つ越える、「大丈夫なのか?」と言う不安な気持ちはあったが、この所、足の具合も良いので挑戦することにした。 「納経の始まる7時までには三角寺まで行こう」と思い5時15分朝食は食べず宿を出る。三角寺までの道は考えていたよりきつい登りだったが予定した7時には到着、途中私よりちょっと年長らしい遍路さんを1人追い抜く。ここで持参したむすびとパンを食べ30分ほどで出発。 ここから三角寺口のバス停まで山を下り、また自動車道で峠を越え常福寺「椿堂」を経由して国道192号へ出る。9時半に平木バス停で休憩、自販機でペットボトルを買いたっぷり水分の補給。このペースならば何とか予定通り歩けそうなので「民宿・岡田」に電話をして訳を話しキャンセルさせてもらう。「解かりました、気をつけて」と快く受けてもらい気持ちが楽になった。 その直後標高290mの所で「境目トンネル」距離は800mだが歩道が狭く、大きなトラックのがひっきりなしに通過、今まで通ったトンネルの中では一番怖かった。 宿泊予定だった「民宿・岡田」の前は11時頃通過、地図にあるラーメン屋で昼食をと思い行って見たが定休日。「途中で食べておけばよかった」 11時20分雲辺寺の登山口、高速道の脇を通り山道へ入る。うっそうとした山中で道幅も狭い、わずか1キロの間に400mも登る急坂、風の通りも悪く、小さな虫が無数に飛んでいる、最悪の状況だ。あっという間に汗まみれになってしまった。 「雲辺寺登山口−雲辺寺・登坂約3時間」となっている、「こんなに厳しい登りが3時間もあったら、もう駄目だ」そんな弱気な気持ちになった頃、深い山中から開けた緩やかな自動車も通れる道路に出ることができる。結局きつい登りは1時間だけだった。この間誰にも会うことはなかった。余程疲れたのだと思う、道路脇で休憩のとき15分ほどうとうとしてしまう。 軽四輪の通り過ぎる音で我に返る。 1時40分雲辺寺到着。登山口から2時間20分、疲れた。 境内は閑散としている、ケーブルから降りてきたのも4〜5名だけだった。お参りの後、大師が自ら掘られたと言われている井戸の水(センサーで出て来る)を飲み、石像の五百羅漢を見る、標高が高いせいか一息つくと涼しさも感じられてきた。 長い下りの道は「四国の道」としてきれいに良く整備された道だった。 ケーブルで登ったマウンテンバイクの青年がすごいスピードで下っていった。大興寺へは5時ちょっと前に着き納経にやっと間に合う、12時間近く歩いたので後半はちょっとの登坂でも壁の様に感じられ一歩一歩が辛かったが大興寺前のお地蔵さんを見て心が和み疲れも癒される様だった。
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34.68番から74番までの7ヶ寺(34日目・5/30)
Am7:30池之尻町子供たちと挨拶を交わしながら・・・ Am9:00 68番69番一緒の山 門
Am10:50 本山寺五重塔
Pm:2:30苦労した弥谷寺の長い石段 石段と坂の上・弥谷寺
Pm3:40 73番出釈迦寺 Pm4:00 72番曼茶羅寺 Pm4:50 74番甲山寺
一日に7ヶ寺を打つ、これだけお参りをすると何かごちゃごちゃになってしまう。歩いた場所の写真を時間と共にも載せてみた。歩行距離は約35km、当初今日のコースは平坦で楽なのではと考え、昨日の疲れもあるのでゆっくり余裕で歩いた。ところが71番の「弥谷寺」では予想外に苦労した、寺は眼前に見えている山の中腹、長い急な階段を登ってやっと納経所、そして本堂までは又登りである。心構えのできていない時にこのような場所が現われると疲れが倍増してしまうのだがここからの景色も絶景だった。 今夜の宿泊先は善通寺市、宿泊先はたくさん載っているので「甲山寺」のお参りが済んだ5時過ぎに電話をしたのだが「もう遅くて夕食の用意はできない」との事だった。やはり昼頃までには宿泊先の予約が必要だ。善通寺脇の居酒屋で夕食、地元の人達と交わす会話も楽しい。窓から善通寺の五重塔が見える3階の部屋に宿泊。
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35.今日も6ヶ寺(35日目・5/31) 75番善通寺門前の「山本屋旅館」はお客も多くて賑わっていた。タクシーやマイクロバスのお遍路さん、完全な歩きは私だけ、皆朝が早くって6時40分食堂に行った私がいちばん最後だった。 7時から宿に荷物を置いて「善通寺」をゆっくりお参り、弘法大師生誕の地・流石に境内も広大でよく整備されている。東院、西院に別れていて納経所になっている御影堂はもう別の寺のようだ。 金毘羅さんへの道は、右手に睨んだだけであっさり諦め、8時35分76番「金倉寺」着。9時55分「道隆寺」では寺のすぐ脇まで大型バスが入り団体のお遍路さんが到着、90%が女性。しばらくの間ベテラン(女性)先達さんの鮮やかなお経や采配振りに見とれてしまう。
丸亀市を通過、シンプルな讃岐うどんを食べる
丸亀市、坂出市を相次いで通過。四国は高校野球が強いから初めての場所でも地名は良く知っている所が多い。 3時15分79番「高照院」の納経所で「次の80番の納経時間に間に合います」と言われ、今日の納経はここまでと思っていたけれど頑張る事にする。旧国道から綾川橋を渡り峠越えで国分町、教えられた通り4時45分80番「国分寺」着。 売店の奥、建物の中からお参りする「大師堂」に特徴があった。 「大師堂は下からお参りください」の立て札。色々な寺があるもなだ。
民宿「えびすや旅館」の宿泊者は私だけ、「今日は一人だけですから部屋でゆっくりおあがりください」と言って部屋に夕食を持ってきてくれる。
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36.楽な日は一日もない。白峯寺から栗林公園まで(36日目・6/1) 今日から6月、今考えると家を出てもう37日間たったとはとても思えない。 もう結願の日がはっきり見えてきた。 嬉しいような、寂しいような複雑な心境になる。 香川県に入り「雲辺寺を越えたらもう楽なものだ」と考えていたがとんでもなかった。楽だと思うような日は1日もない。 今日も81番「白峯寺」への遍路道は厳しかった、地図には「へんろころがし」の表示がある、宿を出た頃前方に見えていた岩場の高い山が1時間ほどで眼下に見えてくる、あちこちに「まむしに注意」の看板、登リきる直前でやっと地元の人一人とすれ違っただけ、心細くて自動車道に出た時はほっとした。 白峯寺(8時45分着)から82番「根香寺」へ向かう遍路道は、鎌倉時代末に建てられた「塔の下段に下乗と書かれた、摩尼輪塔」や遍路石、石仏等が随所にあって昔をしのばせてくれる。木立のなか良く整備され歩いていて嬉しくなるような道だった。
Am7:40 国分町が眼下に 82番「根香寺」参道
82番「根香寺」は参道が美しく、本堂の回廊には無数の観世音菩薩の小さな像が並ぶ、お参りの人も多く感じられた。ゆっくりしてみたい寺だったが30分ほどで山を下る。 83番「一宮寺」の手前で自転車に乗った婦人からちり紙に包んだ500玉の接待を受けた。「家に不出来な息子がおります、ジュースでも買ってください」と言い、あっという間に走り去ってしまった。 「お接待」の人を想いながら念入りにお参りする。その後、栗林公園へ行く道が解からず3名の人に教えていただく。どうも市街地の道は苦手である。 今夜は栗林公園のビジネスホテルへ泊まり、繁華街まで夕食を食べに出掛ける。セルフサービスの「うどん屋」で質素な夕食。
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37.屋島寺・八栗寺(37日目・6/2)
今朝も栗林公園から国道11号に出る道を間違えて地図の通りには歩けなかった。幸い方向が違っていなかったので散歩をする地元の方に教えてもらいながら先に進む、地図の縮図が3万分の1になっているのに気付かず勘違いをしたのだ。 毎日歩いていて曜日の感覚はあまり敏感に感じない。でも今日は日曜日、屋島山に登る際は散歩帰りの地元の人に大勢すれ違う、絶好の散歩コースなのだと思う。 もうお寺に着くかなと思った頃「もう半分くらいですか?」「まだ半分までは登っていません」だって・・・ がっかりしてしまう。 賑あう本堂やらのお参りの後境内を散策、こんな山の上にまで立派なホテルが建っている。ここから見下ろす瀬戸内海、壇ノ浦、これから向かう五剣山の異様な眺望は素晴らしくて、全行程のなかでもベスト3に入ると思う。 ホテルの前から「遍路道情報」にある「地元有志のボランティアにより復元された旧遍路道」を下る、案内通りの険しい急斜面、「良くぞ復元して下さいました」。 このあたり日曜なので源平の史跡を歩く人達に数名会った。 八栗寺へはケーブル駅の脇から平行して登る、ケーブルを使い登った観光客が帰りは歩いて下りてくる、今までの寺になかった観光地の雰囲気である。本堂や聖天堂、すごい賑わいだけれど白衣のお遍路さん以外の人が多い、お堂にはたくさんの酒が供えられていてその前でグループが座ってお参り、酒盛りもしている。 帰りに参道の土産屋でうどんの昼食、お接待と言って草餅を出してくれる。
夕食後散歩に出たら、志度湾から見る今日登った二つの山の夕景が余りにもきれいなのでシャッターを切る。何か満足感を満喫したひと時を過ごす。
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38.1時45分、88番「大窪寺」結願(38日目・6/3) 我ながら呆気にとられるほど、特別な感情も湧かないまま昨日が今日になって最終日を迎えた。 7時15分、何時もと同じように歩き出して、9時に87番「長尾寺」到着。広々とした境内、10名程のお遍路さんがお参りを済ませてあわただしく去って行く。私もいよいよあと1ヶ寺を残すのみとなった。30分ほどして最後の88番「大窪寺」へ向け出発する。 88番大窪寺 前山ダムの堤防を渡り山道に入る、ハイキングの女性たちが「桑の実」を食べている。ダムの周辺は水没した湖底にあった石仏がたくさん集められて並んでいた。とりあえずの目標は「太郎兵衛館」だがここまでの登りが想像していた以上にきつかった。苦労した山中の道が終わるとそこには自動車の走る道が出現、ちょっと複雑な気分、ここで昼食だが食料を買いそびれてしまったので最後の「カロリーメイト」を食べる。ペットボトルの水も底をついたので念のために沢の水を補給しておく。 10分ほどで女体山越えの登山口、「女体山まで1.4キロ・大窪寺まで2.6キロ」の道しるべを見ながら山道に入る。かなりきついとの覚悟をしていたので「それほどでも無いか・・・」なんて思いながら登ったが、流石に最後の数100メートルは岩場が出現、鎖を使うほどの急坂で滑りやすくやや危険を感じる道だった。この急坂で下ってくる数名の人達とすれ違う、お遍路さんでは無くハイキングの人達だったと思う。 1時過ぎ何とか女体山山頂に到着、ひどい汗だったが、吹き抜ける風はさわやかで心地良いし、ここからの景色も素晴らしい。「結願前の試練、苦労したけどここまで来たぜ」の壮快な達成感を全身で味あう事ができた。あとは転がるように山道を下ると88番結願所「大窪寺」の屋根が見えてきた。 1時45分、88番結願所「大窪寺」へ到着。肩のリュックを下ろし、ベンチに座って長かった39日間を振り返る。大勢の人達に助けられて「全て歩く」の目標は100%達成、我ながら「良くやった」の達成感は沸いてきたが、それから先の感激はまだ無い。明日また1番までの40キロが残っているから・・・ 長時間休憩した後本堂・大師堂で念入りにお参りを済ませる。 門前には茶屋や土産屋があって「生姜湯」等の接待、赤い日傘に毛氈の敷かれた縁台等があり、白衣以外の参拝者も多くて結願所らしい華やいだ雰囲気があった。まだ時間は早いが今日はここまで。門前の「民宿八十窪」に宿泊。遍路中数日間一緒だった神奈川の「能野さん」広島の「中川君」と同宿になり、夕食は打ち上げの乾杯。他に70歳代と60歳代の男性遍路さん、皆さんビールをたくさん呑み苦労話に花が咲いて長時間の宴会となった。
私も大勢の方のお陰で「すべて歩き通す」事が出来た感謝の気持ちを簡単に 記入して又布団にもぐりこんだ。 38日前、4月27日午前7時20分1番「霊山寺」にいた私が今ここにいる。「全て歩き通す」の目標は達成した。「良くやったね」 「うん」 「感想は?」 「別にない、まだ明日もあるし・・」
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39.お礼参り、1番「霊山寺」そして高野山「奥の院」(39日・40日・6/4 6/5) 午前6時から午後3時20分、「民宿八十窪」から1番「霊山寺」までの約41kmを歩く。ひどい暑さのなか過酷な下りだったが予定よりは1時間近く早く着くことが出来た。門前で記念の写真を撮り、納経所で出発の際、出発日・住所・氏名を記入したノートの右側に6/4と結願の日を記入。これで39日間の歩き遍路は全て終わった。 坂東駅から17時07分発の徳島行き電車に乗る。 (徳島駅前・第一ホテル宿泊) 徳島駅前6時発大阪行き高速バスに乗車。 難波から南海電車、ケーブル・バスと乗り継ぎ11時高野山奥の院へ到着。 お参り、納経を済ませ長い参道をゆっくり歩いて市内へ。金剛峯寺、女人堂へ参り帰りは、往路乗ったバスとケーブルの間を歩いて南海電車「極楽橋駅」へ。 難波到着が午後4時半になってしまったので大阪に一泊して6月6日正午帰宅。 40.四国歩き遍路を終わって |